2016年9月25日日曜日

ガラケーを使い始める

携帯代金を節約するためこの二か月ほどスマホとキッズケータイの二台持ちをしていたが、キッズケータイの機能に不満を覚えることが多く、このたび音声通話用として携帯電話を新たに購入した。
新しい携帯電話はSH-03Eである。2012年にSHARPから発売された端末、いわゆるガラケーだ。
秋葉原の中古携帯電話店で同じ機種がいくつも山積みにされていたが、状態のよさそうなものを一つ選んだ。
お値段2980円である。一回の飲み代よりも安い。
購入したSH-03E
日曜の午後にSH-04Eを購入したあと、さっそくdocomoのSIMを入れ使い心地を確かめていたが、これは4年前の機種とはいえ高い完成度を誇る携帯電話だと感心した。
ガラケーの強みである電池の持ち、電話としてのフォルム、日本語入力の正確さは、この端末においてその頂点に達していると思われた。
さすがはdocomo STYLE series最終機種だ。ガラケーの完成形として相応しい。

SH-04Eは軽くて薄いからズボンやバッグのポケットに入れても邪魔にならない。
ガラケーらしい強い鳴動音のおかげで、これから急な電話を逃すことは少なくなりそうだ。
防水機能付きで、しかも比較的最近の機種だから純正品バッテリーが手に入りやすいこともあるから、これはしばらく安心して使えそうだ。

そういえばもう長く「赤外線通信」なるものを使っていないことに気付いた。
以前は連絡先交換になくてはならないツールだった覚えがあるが、赤外線通信機能がないiPhoneやLINEの普及とともにその地位が奪われていったのだろう。
久しぶりにガラケーを持ったことだし、たまには赤外線通信を使ってみるのも一興かもしれない。
研究室でまだガラケーを使っている人たちに頼んでみよう。

2016年9月18日日曜日

メモ9

ラボに復帰してから二週間が経ち、ようやくいつもの生活が戻ったように感じられる。

ここ最近は奨学金の申し込みに関することで、実家の両親と電話する機会が多かった。
僕は音声通話用の携帯電話にdocomoのキッズケータイを使っているのだが、どうもあまり声の拾い方が良くないらしく、母からは「声が小さくて聞き取りにくい」と何度か指摘を受けている。
子供用向け端末だから全長が短く、スピーカーとマイクの位置が近すぎるのだろう。
昨日は携帯電話の通話が何度も途切れてしまったので、仕方なくSkype Outで用件を伝えた。

このままでは連絡手段として頼りないから、近いうちに新しい携帯電話を物色するつもりでいる。
秋葉原で白ロムのガラケー端末を探すのがよさそうだ。

2016年9月11日日曜日

海生生物由来の天然化合物いろいろ

今週の月曜日から再び研究室生活が始まった。
最初の数日は、リハビリの意味を込めて自分の研究に関する先行論文何本かに目を通していた。
院試勉強を終えて論文が以前より若干読みやすくなった気がするけれども、依然わからないことばかりだ。
研究をより進めるためにはまだまだ勉強すべきことが多いと改めて感じていた。

木曜日に工学系研究科修士課程の合格発表があった。
僕は16時の合格発表より少し前に研究室を抜け出して、掲示板のある建物へ赴いた。
しばらく待っていると職員がパネルを置いたので、僕はさっそく受験した専攻の合格者を確認した。
自分の受験番号を見つけた。
そして、横には僕が第一希望で出した研究室名が併記されていた。
「もし落ちていたらどうしよう…」──院試が終わってからずっと続いていた緊張が一気に緩解した。
たった今、院試は無事に幕を閉じたのである。
自分よりずっと優秀な同期たちと同じ研究室に配属されて以来、彼らに置いて行かれまいと、自分にできる範囲内でこの半年頑張ってきたのだが、なんとか振り落とされずに済んだのだ。
掲示板の前にひしめく学科同期たちの間で僕は「よし、受かっていた!」とつぶやき、喜びをかみしめながらその場を立ち去った。

土曜日の午、は学内で開かれていたシンポジウムを聞きに行っていた。
講演者の一人は海生生物由来の天然物の研究で著名な上村大輔先生だった。
上村先生の代表的な業績の一つは猛毒パリトキシンの構造決定である。
パリトキシン (J. Am. Chem. Soc., 1982, 104, pp 7369–7371より引用)
分子量2680で、64個の不斉中心をもつ巨大分子パリトキシンだけれども、恐ろしいことにその全合成は1994年に岸義人先生らによって成し遂げられている(J. Am. Chem. Soc., 1994, 116, pp 11205–11206)。
ほか、上村先生らは62員環をもつ天然物シンビオジノライドの構造決定にも取り組んでおられるそうだ。
シンビオジノライド(J. Org. Chem., 2009, 74, pp 4797–4803より引用)
2007年に単離されたシンビオジノライドだが、その構造決定はいまだ進行中で、あと12個の炭素骨格について立体配置をこれから決めていく必要があるそうだ(つまり全合成はまだ達成されていない)。
上村先生の業績とは関係がないが、僕は研究室の論文紹介セミナーで天然化合物ヘミカライド(ヘミカリド)の構造決定に関するものをいくつか読んだことがある。
ヘミカライド(Org. Lett. 2015, 17, 2446−2449より引用)
ヘミカライドも海生生物由来の天然化合物だが、その大きさはシンビオジノライドの半分程度以下で立体中心は21個しかない(21個でも十分多いとは思うが)。
その構造決定は難航している。
部分合成と核磁気共鳴(NMR)分光法、振動円二色性(VCD)分光法、計算化学等、構造決定に関する様々な手法が駆使されているが、ヘミカライドは単離から7年ほど経った現在でまだ3分の1程度の立体配置が判明していない。
ヘミカライドの構造決定ですらかなりChallengingなのに、これまで上村先生らはパリトキシンの完全構造決定を成し遂げ、シンビオジノライドの構造決定に取り組んでおられるのだ。
一体どれだけ知恵と汗を振り絞ればこんな技巧的な分子の構造決定や全合成を成し遂げられるのか……院試を終えたばかりの学部生にはとても刺激的な話題だった。

天然由来の化合物は生理活性を持っていて、薬品への応用が期待されるだけに、その完全構造決定は肝要だ。
先ほど出てきた化合物だと、パリトキシンは猛毒だけれども、ヘミカライドは抗がん作用を持つとされ、このような物質から医薬品化学者が医薬候補品を合成する。
炭素骨格の立体配置が一つ違うだけで、薬が毒になることもある(日本だとサリドマイド薬害問題が有名だ)。
医薬候補天然物の発見から実際に薬が発売されるまでには、ふつう何十年もの期間を要する。
そのうち、構造決定のために費やされる時間はかなりの部分を占める。
天然化合物の構造決定は、一流の化学者をもってしても数年、場合によっては数十年かかるほど難しい仕事なのだ。
その期間を短くするべく、さまざまな人たちが研究を進めている。
(僕の卒論研究もそれと関連したものだが、まだそれについて語れるような段階ではないので、ここで紹介するのは後の機会にしたいと思う)

2016年9月4日日曜日

『アルジャーノンに花束を』

先週で院試が終わり、この週末は休養の意味を込めて実家に帰っていた。
本と論文をいくつかバッグに入れ、好きなときに取り出し目を通していた。
院試が終わったから、空いた時間はもう気兼ねなく研究や読書、あるいは趣味に充てられる。
試験勉強ではなく、自分のための勉強ができる。
試験がない生活が僕をこれほど自由な気分にさせてくれるものだったとは、久しく忘れていた。

松山から成田に飛ぶ機上で、ダニエル・キイス著『アルジャーノンに花束を』(早川書房・小尾芙佐訳)を読み終えた。
主人公のチャーリイ・ゴートンは知的障害者だったが、手術により劇的な知能の発達を遂げる。
しかし、急激な知能の成長は周囲の人々を怖がらせ、かつては愚かしくも朗らかな青年だったゴートン自身にも慢心・人間不信を感じさせるようになる。
ダニエル・キイスは日本語版の序文で「この小説の読者たち、さまざまな年齢層の、さまざまな背景と文化と言語をもつおびただしいひとびとが、自分自身をチャーリイになぞらえるだろうとは、ゆめにも考えていなかった」と記していた。
実際僕もこの物語を読み進めるにつれ、「自分はチャーリイ・ゴートンなのではないか」と強く心を揺さぶられたうちの一人だ。

僕は幼いころどちらかといえば間の抜けた性格で、あまり勉強ができなかった。
小学四年生の終わる春に友達から誘われ中学受験塾に入り、最初はひどい成績をとっていたが、教材が自分に合っていたからか、次第に順位を上げていった。
塾に通い始めてからしばらくしたある日、かつて自分が書いた作文を見直した。
文法はむちゃくちゃだし、句読点の使い方も不適切で、文章は長たらしく主語すらはっきりしない。
塾でさまざまな文章を片っ端から読んで、適宜辞書を使いながら勉強をしているうちに、ようやく僕は(小学生としては)及第点の作文を書けるようになったのだった。
いままで目の前を覆っていたもやが取り払われたような気分がしたし、他人にわかってもらえる形で自分の考えを表現できるようになったことに清々しい気持ちを覚えた。
一方で、僕の様子を快く思わないクラスメイトもいたようだった。
あるクラスメイトは「おまえになんか塾は無理だよ」と僕の目の前で言ったし、別のクラスメイトからは「おまえはみんなに嫌われているんだよ」と根拠のない文句を伝えられ、(僕もその頃は他人の台詞を額面通り受け取るほど単純な性格だったので)気が動転したことがある。少しあとになってから彼に問い質すと「おまえが妬ましかった」という言葉をもらった。
いままで仲良くしてもらえていた人たちから疎ましがられる理由が、僕にはさっぱり理解できなかった。
いま『アルジャーノンに花束を』を読んで、その理由の手掛かりが与えられた気がした。
ここではこれ以上詳しく記さないが、主人公をからかうドナー・ベイカリーの店員たちに彼が抱いた心境の叙述は、僕にそれをうまく説明してくれた。

ダニエル・キイスは大学生だったころ、『アルジャーノンに花束を』の構想をメモに記したのだという。
「ぼくの教養は、ぼくとぼくの愛するひとたち――ぼくの両親――のあいだに楔を打ちこむ」
この言葉にはハッと気づかされるものがあった。
僕は帰省をするたびに、愛媛で暮らす両親たちとだんだん考えが異なってきている事実を感じる。
僕の変容、それは僕にとっては肯定的な意味を持つものであっても、彼らにとっては不愉快なものに思われるようだ。
大学でさまざまな人に会って、さまざまな考え方を見聞きして、それをもとに僕が認識を日々書き換えつつあることは、彼らからすると僕を僕なからしめる行為であるらしい。
素直だったおまえはどこに行ったの。勉強ばかりして性格が変わってしまったね。
僕たち家族はかつて毎日食卓で顔を合わせ他愛ない話をしていたのに、三年半の歳月が、僕が大学で得たものが、それをもはや不可能にしつつあるのかもしれない。
両親を前に僕が説明をすればするほど、僕の思いとは裏腹に、それは両親たちには許容しがたい、理解しがたいものとなっている。
帰省ついでに『アルジャーノンに花束を』を読んでいると、そうした観念が迫ってくるようだった。