8月に入ってからずっと院試勉強をしている。
今月の初めに一度だけ高校の先輩方にお酒をご馳走になった日があったが、それ以降は断酒している。
そもそも酒を飲む気もあまり起きない。
ずっと机に向かっていると、東大受験のために勉強をしていた4年前の夏を思い出す。
何人かのクラスメイトとデパートの屋上で待ち合わせて一緒に受験勉強をしたこと。
毎日のように片頭痛に悩まされ、思うように勉強できなかったこと。
家族との他愛ない会話を通して、受験の不安を知らず知らずのうちに紛らわせていたこと。
「来年の今頃、自分は東京にいられるだろうか」と一日三回は自問自答していたこと。
いまの僕からすると、あの頃の僕がしていた「勉強」は稚拙で、消極的で、詰めが甘かったと思えるが、それでも受験のストレスを抱えながら自分なりに頑張っていたのだろう。
院試勉強のなかで、数ある勉強のなかでもとりわけ受験勉強は精神を消耗することを再確認しつつある。
院試の不安を最も効果的に取り除いてくれるのは、同じく院試を目前に控えている友人たちや何年か前に院試を終えた研究室の先輩達との会話だ。
友人たちは僕と同じように不安を抱きながら、もう勉強をやめたいと何度も思いながら、なんとか目の前の目標のために勉強を続けている。
この苦しい院試勉強をやってのけた経験者の一人が、目の前で話をしている。
それだけで僕には十分励みになる。
とはいえ院試勉強は孤独な作業だから、依然僕にとって厳しいものであることには違いない。
あと院試まで10日を切ったが、正直なところ、問題を解くほど不安が増幅する。
それらのほとんどはかつて講義で習ったものだし、試験勉強で覚えたはずの箇所なのだが、時間の経過とともに記憶から抜けたようだ。
自分の記憶から抜け落ちたままのピースがまだどこかに落ちているから探さなくてはいけない──そのような強迫観念めいた言葉が、既視感のある問題に遭遇するたびに沸き起こって、僕に焦りを感じさせる。
あと10日でどこまで仕上げられるか、僕にもまったく見当がつかない。
0 件のコメント:
コメントを投稿