研究室に配属されてから5週間が経った。
人の名前を覚えるのが苦手な僕だが、最近はようやく研究室メンバーの名前を間違えることもなくなった。
四月は慌ただしかった。
配属後一週間も経たないうちに教授から卒論テーマが与えられた。
自分のテーマについて以前どのような試みがなされ、いま何が問題となっていて、将来的にどのような応用が期待されているのか、そうしたことが全く分からないまま、いつの間にか卒論課題が決まっていた。
この一か月ほど初歩的な実験をしたり、論文を読んだり、同様のテーマに取り組んでいる先輩達の話を聞くことで、自分の課題に潜んでいる問題点がようやく明らかになりつつあると感じている。
専門知識をある程度講義で学んだとはいえ、実際に研究室に配属されると毎日のように自分の知識の不足を実感する。
テストに出題されるのは、講義で聞いたことがあるものだけだった。学生実験のレポートに書くべきことは、実験手引書か参考文献を読めばおのずと分かる。目の前にいる教官達は満点の解答例を知っていた。
ところが、研究に必要であるとか、見聞を広めるために論文を読んでみると、自分の聞いたことのない事柄ばかりで溢れている。たまに「学んだことがあるもの」をその中に見出すこともあるけれども、何か月も前に聞いたことだから記憶が曖昧になっている。それどころか、論文にすら「これはわからない、後の研究を待つ」と記されていることだってある。
実験をすれば「この手順には何の意味があるのか」「どのような方法を試せばよいデータが取れるのか」と様々な疑問が思い浮かぶ。そのうちのいくつかは教科書や論文を見れば書いてあることだが、なかには先輩や指導教官ですら知らない場合もある。
そのような体験を繰り返すうちに、「自分の研究で明らかにしたい対象は、今まで誰も知らなかったことだ」と僕は改めて実感するのだ。
何も知らないところから、過去に誰かが為し得たことを理解できるレベルに達するために、何冊かの専門書を読み、多くの時間を充てねばならなかった。今でも十分それを理解できるわけではない。依然多くの労力を充てなければならないだろう。
研究にはある程度の新規性が求められるが、それを為すべき僕の知識はまだ浅い。未熟ながらも必要ならば自ら何かを学び、場合によっては先輩達や教官の教えを乞いながら、未知の事柄を自分の研究生活を通して明らかにし、卒論として形にしたいものだ。
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