2016年2月21日日曜日

長野旅行

先週は僕が所属するサークルの合宿で長野を旅行した。

今日は長野の写真を紹介したい。

雪解け水の滴る手水舎 
長野・善光寺の手水舎
午後11時に北陸新幹線で長野に到着した。長野駅に着いたときは吹雪いており、「今日の撮影は厳しいかな…」と諦めてかけていたが、善光寺を訪れるころには天候が回復していた。

 長野だけあって、晴れていてもこの日の最高気温は2℃だった。愛媛出身の僕には応える寒さだ。

 そういえば今年はまだ初詣すらしていなかった。期せずして今年の初詣が善光寺となったわけである。若干出遅れたが、幸先の良い一年となるよう祈って、お参りを済ませた。

 サークルのメンバーと善光寺を見物していた際、興味深い石を見つけた。ロタキサンそろばんのように、輪が何個かつながった1対の棒が、4箇所取り付けられていた。石には『御百度』と書かれてあることから、おそらく御百度参りの回数を記録しておくためのものと結論した。




百度石
善光寺の百度石

 後で調べてみると、これは「百度石」と呼ばれるものらしく、実際に御百度参りのツールとして使われているようだった。輪が10本、棒が2本揃っているから102=100までの数を計算することができる。4組あるから、4人まで同時に御百度参りの回数を計算できる。インターネットで画像検索する限りほとんどの百度石が一人用だから、この百度石は珍しいタイプと考えられる。「牛に引かれて善光寺参り」という諺があるくらい有名で霊験あらたかな寺だから、御百度参りをする人も多いのだろう。










善光寺の境内にいた猫

松本城
松本城
午後は信州名物そばを食べたあと、篠ノ井線で松本まで移動した。依然寒く、雪は断続的に降っていた。
















 夕方、松本城を訪れた。この城は全国で12箇所しか残っていない現存天守閣を持つ城の一つで、国宝に指定されている。城内には市内のコレクターが寄贈した火縄銃も展示されており、見ごたえは十分だった。

 僕は松山出身だから、城を訪れる際どうしても松山城と比較する癖がある。松山城も現存天守閣に分類され、国の重要文化財に指定されている。松山城の天守閣は三階建てで大きいほうではあったが、松本城の5階建てにはスケールで劣る。久しぶりに「松山城よりも重厚感を兼ね備えた城」を見られたと感じた。
来週帰省するから、改めて松山城を見て、比較したい気になった。


奈良井宿街道
奈良井宿
翌朝は中央線で奈良井に移動した。
 奈良井宿は中山道で最も栄えていた宿場町のひとつで、今でも重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)として、当時の街並みが多く保存されている。
 この日は朝食をとっていなかったこともあって、軒先から漂う、この地方名物の五平餅の香ばしい匂いに誘われて、ごまだれで味付けされた五平餅を食べた。コメの粒状感が残っていて、まるでとても柔らかいおにぎりを食べているようだった。串にかぶりつきながら、おいしくいただいた。

凍った手水舎
鎮神社の手水舎
サークルメンバーが「奥に面白い光景がある」というので、鎮神社まで来た。ここは奈良井宿で昔流行した疫病を鎮めるために建てられたとされている。

 手水舎を見てみると、なるほど面白い。長野の厳しい寒さにさらされ、枯葉と柄杓が氷の中に凍っている。このときの気温は氷点下だったから、融ける気配は全くなく、氷を叩いても鈍い音が響くだけだった。

 そののち、南木曽からバスを乗り継いで妻籠宿へ。ここは日本で最初に重伝建に指定された、街並み保存のパイオニアとも言える地だ。いくら歩いても見尽くせないほど、とても大規模な重伝建だった。実際、全国の重伝建面積の約3分の1は妻籠宿が占めている

 妻籠宿を見終わった後は、馬籠宿、中津川を経由して、恵那にてサークルメンバーを見送った。そのまま中央本線で名古屋まで通り抜け、僕の長野旅行は終了した。

 長野にいる間は毎食そばを食べていたような気がする。名古屋に着いてようやくラーメンと串カツを食べながら、「今度は夏に安曇野でそばを食べたいなぁ…」と考えていた。院試が終わったら、自分に慰労の意を込めて、避暑がてら軽井沢に行くのも良いかもしれないね。
妻籠宿
妻籠宿

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