2016年12月25日日曜日

中間発表を終える

昨日研究室内での中間発表を終えた。

卒業研究として今まで行ってきたことをストーリー仕立てで6分間にまとめ発表していた。
教授からは「今年の初めに与えたテーマに固執しなくてもいい。出てきた成果に合わせてテーマを変えても構わない」とコメントがあった。
いま出ている成果を発表する場合、当初のテーマとは少し路線を変えたストーリーを組んで発表したほうが見栄えが良くなるということなのだろう。
先生の助言にしたがい、若干卒論テーマを変更することにした。
とはいえ大幅な方向転換ではないから、急に追加で実験をする必要などが出てきたわけではない。
限られた期間で出せた成果を、できるだけ魅力的に見せるためのテーマ変更であるからだ。

当初掲げていたテーマは卒論を提出し終わった後に、修士課程で引き続き追うことにする。

2016年12月18日日曜日

メモ15

来週は研究室内での中間発表がある。

卒論をサイエンティフィックに面白くするような、決定的なデータを僕はまだ出せていないのだが、来週に発表しなければならないなら仕方ない。
「四年生は卒論発表会のイントロをするような気持ちで発表してほしい」とお達しがあったので、さっそく卒論の構成を考えていた。

研究室に入ってからプレゼンをする機会は何回かあったが、それはすべて他人の研究を紹介するためのものだった。
自分の研究を他人に興味深い形で伝えることは僕にとって初めての経験になる。
言いたいことすべてを伝えようとすれば要領を得ない発表になる。
かといってバックグラウンドを省略しすぎては本題である自分の研究の話が理解しづらくなるし、スライドや口頭に取り込むべき情報の取捨選択に迷っている。

2016年12月11日日曜日

服を買う

研究室に通い詰めの毎日で、服や靴に顧慮する暇がなかった。
ふと気が付くと、普段ローテーションしている衣類の多くに穴が開いていて、靴には裂け目が目立つようになっていた。
最近あまり研究が忙しくないから、今週末は衣類を物色した。

近所には商店街があり、質の良い衣類や靴をすぐ手に取って見ることができる。
僕はネットショッピング常用者だが、身に着けるものばかりは実際に自分で試着してみないと心配だから店頭で買うことにしている。
商店街の古着屋で一着のコートを、馴染みの靴屋で二組のカジュアルシューズを購入した。

そろそろ寒さも本格的になってきたが、今日の買い物の収穫品で今年の冬は乗り切れそうである。

2016年12月4日日曜日

メモ14

先週の水曜日に研究室での進捗報告会が終わり、忙しさはかなり落ち着いた。
気付けばもう師走になっている。

最近は研究以外のことを休日にする気力もあまり起こらなくて、ブログを書くのも億劫になってきた。
そろそろ更新頻度を落とそうかと考えている。

2016年11月27日日曜日

メモ13

今週の論文紹介セミナーは自分に当番があたっていた。
テーマには合成生物学に関する論文を選んだ。
自分の研究領域と今後密接にかかわってくるかもしれない分野だからだ。
僕自身は高校、大学でまともに生物学を勉強したことがないから、論文を理解するのにかなりの苦労があった。
発表を終えた今でもあまり理解できていない部分がある。幸い質疑応答で誰にも聞かれなかったが。

異分野の研究についてバックグラウンドからきちんと理解する試みは、久しぶりの頭をつかう作業だったように思う。

2016年11月20日日曜日

メモ12

卒業研究が軌道に乗るか否か、分水嶺に立たされているような気分を感じる。
今週の金曜日から実験を始めたので、来週の終わりには何らかの結果が出るだろう。
今回の結果が望ましいものであれば、来月から卒業論文の執筆にとりかかりたいと考えている。
これから一週間は気の抜けない日々を過ごすことになりそうだ。

来週の土曜日には僕に論文紹介の当番が回ってくる。
スライドは作り終えたが、配布資料作成、発表練習、質問対策はまだ十分でない。
重要な実験を遂行しながら論文をきちんと読み込めるかあまり自信がないが、やれるだけのことはやってみる気でいる。

2016年11月13日日曜日

メモ11

卒業研究には相変わらず前進が見られない。
今まで行った実験結果のブラッシュアップや、今後検討すべき条件の洗い出し作業に毎日追われている。
そろそろ卒論を書き始めたいものだが、二週間後研究室の論文紹介セミナーの番が自分に回ってくることもあって、いますぐには動き出せないのだ。
来週から大事な測定をいくつか行うことになっている。
この結果が芳しいものになるか否かは自分の努力というより運によるところが大きいが、いずれにせよ、これから出る結果で卒論を書き始めなくてはいけないだろう。

2016年11月6日日曜日

神保町を訪れる

今日は神保町の古本まつりを訪れていた。
本棚が通りに所狭しと並び、おびただしい人々が目当ての本を物色している様子には圧倒された。
僕も通学時に読めそうな本や研究に役立ちそうな本がないかと、ぶらぶらと古本市を端から端まで歩き回っていた。
結局予算を考慮して文庫本を三冊買うだけにとどまったが(化学系ラボの学生は少ないお小遣いで暮らしているのだ)、著名な写真家の写真集だとか、天然物化学の厚い本だとか、ぱらぱらと眺めるだけで所有欲を掻き立てられるものが多かった。

神保町を訪れるのは半年ぶりのことだったが、今回も実りある買い物ができたように思う。

2016年10月30日日曜日

ツイッターをやめた所感

ツイッターのアカウントを削除してから早一週間以上が経つ。
日常生活で困ることは特に生じていない。
手持ち無沙汰なときにすぐスマートフォンの画面を見てしまう癖はさらになくなりつつある。
今月はいつもの月に比べ読書もはかどっている。
読めずに積んであった本が少しずつ減っていくのを実感でき、満足している。

今週は所用があって、土日とも大学に来ている。
休日は研究をせずに休養するべきだと自分では理解しているのだが、どうしても月曜日の進捗報告会に出したいデータがあったのだ。
その代わり今週の木曜日は文化の日でお休みになるし、休日はそのときしっかり堪能しよう。

2016年10月23日日曜日

メモ10

卒業研究には相変わらずなかなか結果が出なくて苦しんでいた。

今週は若干の進捗があったが、思えば実験がうまくいくのも三か月ぶりくらいだったかもしれない。
研究は思うように進まないのが普通と割り切っているけれども、失敗続きで気が滅入りそうだったから、今週の進捗は諸手を挙げて喜ばしく感じられた。

まだ先は長いと思っていたが、もう四か月後には卒論発表が近づいている。
あまり悠長に構えているわけにはいかない。

2016年10月16日日曜日

風邪をひく

今週は実験がうまく進まなかった。
実験の進捗が思わしくないばかりか、季節の変わり目で身体を冷やし風邪までひいてしまった。
それで、金曜日はラボを早退し大学の保健センターまで薬を貰いに行こうとした。
ところがいざ保健センターに着いて受付に学生証を出すとスタッフが「今日の診察はもう終わりました」とつれない返事をする。
診察時間はたった5分前に終わってしまったそうである。
風邪で重い体を引きずってわざわざキャンパスの端から端まで歩いてきたというのに。
こちらの落胆が向こうにも通じたのか、スタッフに「近くの内科を紹介しましょうか」と申し訳なさそうな調子で声をかけられたけれども、僕は診察料のかからない保健センターの内科を目当てに来ているわけで、普段の3倍の治療費を風邪のために払うのも癪に思われたからその申し出は丁重に断った。

結局その日は風邪薬を薬局で買いに行くこともせず、僕はさっさと家に帰って寝ることにした。
風邪は寝て治すのが一番だ。一人暮らしでは病気がひどくなっても誰も看病してくれるわけではないし、薬を服用しながらだらだらと動き続け症状を悪化させては元も子もない。
近所の八百屋でネギと白菜を買い、鍋を作った。
僕は大して料理がうまくないけれども、久しぶりに食べる熱い鍋料理は風邪の体を芯から温めてくれた。
研究の忙しさを理由に毎日外食で済ませることが多かったが、よくよく考えてみれば最近外食にも飽きて食欲不振気味だったし、風邪をひきやすい食習慣を招いていたのだろう。
体調を心配してLINEを送ってくれた人とのやり取りもほどほどにし、その日は早めに寝た。

土曜日目が覚めると、喉の痛みは完全に治まっていた。
しっかり食べ、しっかり寝る。
風邪に一番よく効く薬はこれであると、ふたたび実感する週末であった。

2016年10月9日日曜日

Sauvage先生について

今週の水曜日、ノーベル化学賞がSauvage・Feringa・Stoddartの三氏に与えられた。
研究室に配属されて以降この三氏の名前を耳にすることがしばしばあったし、今年のノーベル化学賞の受賞内容について僕はとても好奇心を駆り立てられた。

今年の五月にSauvage先生は東京大学にいらっしゃって分子機械に関する講演をされていた。
実はそのとき、僕も研究室のメンバーたちに交じりSauvage先生の講演を拝聴していた。
かつて超分子化学に関する授業を履修したのでカテナン合成について若干知識はあったが、その分野の大家であるSauvage先生の口から放たれると、同じ内容でもとりわけ興味深く感じられたものだった。

僕は研究室の写真係を任されているから、講演後Sauvage先生の写真をお撮りした。
僕がつたない英語で出す細かい指示に対し、先生はその都度丁寧に応じてくださったのをよく記憶している。(講師の先生が「彼は弊研究室の公式フォトグラファーなんですよ」と、写真を撮るあいだ何度もSauvage先生に対し話しかけていたことも功を奏した……のかもしれない)
そのとき撮った写真は、研究室の教授から無事Sauvage先生のもとへ送られたと聞いている。

ノーベル化学賞の発表翌日に研究室で教授にお会いしたとき、「Sauvage先生にお祝いメッセージを送りたいので、研究室のみんなが入った写真を撮ってくれないか」とお願いがあった。
早速その週のミーティング後、僕は三脚に一眼レフを取り付け、先生はカテナンをモチーフにしたお祝いスライドをスクリーンに映し、研究室総出でSauvage先生を祝う写真を用意したのだった。
カテナンのように腕の輪でインターロックした研究室メンバーの写真も、再び教授からSauvage先生のもとへ送られたそうである。

2016年10月2日日曜日

酒を飲む

今日は池袋に行き、友人と真昼間から酒を飲んでいた。
院試に合格したはいいが、もうじき卒論を書かねばならない、その卒業研究は思い通りに進むものではない、主にそのような悩みを友人と交わしていた。
彼も院試に合格し、無事第一希望の研究室への配属を勝ち取ったようだったが、それに至るまでの道のりは精神的に苦しいものだったと語っていた。

大学院生になることへのぼんやりとした不安、うすうす見えつつある自分の限界等、感情を共有できる友人を持っていることは幸いだと感じる。

2016年9月25日日曜日

ガラケーを使い始める

携帯代金を節約するためこの二か月ほどスマホとキッズケータイの二台持ちをしていたが、キッズケータイの機能に不満を覚えることが多く、このたび音声通話用として携帯電話を新たに購入した。
新しい携帯電話はSH-03Eである。2012年にSHARPから発売された端末、いわゆるガラケーだ。
秋葉原の中古携帯電話店で同じ機種がいくつも山積みにされていたが、状態のよさそうなものを一つ選んだ。
お値段2980円である。一回の飲み代よりも安い。
購入したSH-03E
日曜の午後にSH-04Eを購入したあと、さっそくdocomoのSIMを入れ使い心地を確かめていたが、これは4年前の機種とはいえ高い完成度を誇る携帯電話だと感心した。
ガラケーの強みである電池の持ち、電話としてのフォルム、日本語入力の正確さは、この端末においてその頂点に達していると思われた。
さすがはdocomo STYLE series最終機種だ。ガラケーの完成形として相応しい。

SH-04Eは軽くて薄いからズボンやバッグのポケットに入れても邪魔にならない。
ガラケーらしい強い鳴動音のおかげで、これから急な電話を逃すことは少なくなりそうだ。
防水機能付きで、しかも比較的最近の機種だから純正品バッテリーが手に入りやすいこともあるから、これはしばらく安心して使えそうだ。

そういえばもう長く「赤外線通信」なるものを使っていないことに気付いた。
以前は連絡先交換になくてはならないツールだった覚えがあるが、赤外線通信機能がないiPhoneやLINEの普及とともにその地位が奪われていったのだろう。
久しぶりにガラケーを持ったことだし、たまには赤外線通信を使ってみるのも一興かもしれない。
研究室でまだガラケーを使っている人たちに頼んでみよう。

2016年9月18日日曜日

メモ9

ラボに復帰してから二週間が経ち、ようやくいつもの生活が戻ったように感じられる。

ここ最近は奨学金の申し込みに関することで、実家の両親と電話する機会が多かった。
僕は音声通話用の携帯電話にdocomoのキッズケータイを使っているのだが、どうもあまり声の拾い方が良くないらしく、母からは「声が小さくて聞き取りにくい」と何度か指摘を受けている。
子供用向け端末だから全長が短く、スピーカーとマイクの位置が近すぎるのだろう。
昨日は携帯電話の通話が何度も途切れてしまったので、仕方なくSkype Outで用件を伝えた。

このままでは連絡手段として頼りないから、近いうちに新しい携帯電話を物色するつもりでいる。
秋葉原で白ロムのガラケー端末を探すのがよさそうだ。

2016年9月11日日曜日

海生生物由来の天然化合物いろいろ

今週の月曜日から再び研究室生活が始まった。
最初の数日は、リハビリの意味を込めて自分の研究に関する先行論文何本かに目を通していた。
院試勉強を終えて論文が以前より若干読みやすくなった気がするけれども、依然わからないことばかりだ。
研究をより進めるためにはまだまだ勉強すべきことが多いと改めて感じていた。

木曜日に工学系研究科修士課程の合格発表があった。
僕は16時の合格発表より少し前に研究室を抜け出して、掲示板のある建物へ赴いた。
しばらく待っていると職員がパネルを置いたので、僕はさっそく受験した専攻の合格者を確認した。
自分の受験番号を見つけた。
そして、横には僕が第一希望で出した研究室名が併記されていた。
「もし落ちていたらどうしよう…」──院試が終わってからずっと続いていた緊張が一気に緩解した。
たった今、院試は無事に幕を閉じたのである。
自分よりずっと優秀な同期たちと同じ研究室に配属されて以来、彼らに置いて行かれまいと、自分にできる範囲内でこの半年頑張ってきたのだが、なんとか振り落とされずに済んだのだ。
掲示板の前にひしめく学科同期たちの間で僕は「よし、受かっていた!」とつぶやき、喜びをかみしめながらその場を立ち去った。

土曜日の午、は学内で開かれていたシンポジウムを聞きに行っていた。
講演者の一人は海生生物由来の天然物の研究で著名な上村大輔先生だった。
上村先生の代表的な業績の一つは猛毒パリトキシンの構造決定である。
パリトキシン (J. Am. Chem. Soc., 1982, 104, pp 7369–7371より引用)
分子量2680で、64個の不斉中心をもつ巨大分子パリトキシンだけれども、恐ろしいことにその全合成は1994年に岸義人先生らによって成し遂げられている(J. Am. Chem. Soc., 1994, 116, pp 11205–11206)。
ほか、上村先生らは62員環をもつ天然物シンビオジノライドの構造決定にも取り組んでおられるそうだ。
シンビオジノライド(J. Org. Chem., 2009, 74, pp 4797–4803より引用)
2007年に単離されたシンビオジノライドだが、その構造決定はいまだ進行中で、あと12個の炭素骨格について立体配置をこれから決めていく必要があるそうだ(つまり全合成はまだ達成されていない)。
上村先生の業績とは関係がないが、僕は研究室の論文紹介セミナーで天然化合物ヘミカライド(ヘミカリド)の構造決定に関するものをいくつか読んだことがある。
ヘミカライド(Org. Lett. 2015, 17, 2446−2449より引用)
ヘミカライドも海生生物由来の天然化合物だが、その大きさはシンビオジノライドの半分程度以下で立体中心は21個しかない(21個でも十分多いとは思うが)。
その構造決定は難航している。
部分合成と核磁気共鳴(NMR)分光法、振動円二色性(VCD)分光法、計算化学等、構造決定に関する様々な手法が駆使されているが、ヘミカライドは単離から7年ほど経った現在でまだ3分の1程度の立体配置が判明していない。
ヘミカライドの構造決定ですらかなりChallengingなのに、これまで上村先生らはパリトキシンの完全構造決定を成し遂げ、シンビオジノライドの構造決定に取り組んでおられるのだ。
一体どれだけ知恵と汗を振り絞ればこんな技巧的な分子の構造決定や全合成を成し遂げられるのか……院試を終えたばかりの学部生にはとても刺激的な話題だった。

天然由来の化合物は生理活性を持っていて、薬品への応用が期待されるだけに、その完全構造決定は肝要だ。
先ほど出てきた化合物だと、パリトキシンは猛毒だけれども、ヘミカライドは抗がん作用を持つとされ、このような物質から医薬品化学者が医薬候補品を合成する。
炭素骨格の立体配置が一つ違うだけで、薬が毒になることもある(日本だとサリドマイド薬害問題が有名だ)。
医薬候補天然物の発見から実際に薬が発売されるまでには、ふつう何十年もの期間を要する。
そのうち、構造決定のために費やされる時間はかなりの部分を占める。
天然化合物の構造決定は、一流の化学者をもってしても数年、場合によっては数十年かかるほど難しい仕事なのだ。
その期間を短くするべく、さまざまな人たちが研究を進めている。
(僕の卒論研究もそれと関連したものだが、まだそれについて語れるような段階ではないので、ここで紹介するのは後の機会にしたいと思う)

2016年9月4日日曜日

『アルジャーノンに花束を』

先週で院試が終わり、この週末は休養の意味を込めて実家に帰っていた。
本と論文をいくつかバッグに入れ、好きなときに取り出し目を通していた。
院試が終わったから、空いた時間はもう気兼ねなく研究や読書、あるいは趣味に充てられる。
試験勉強ではなく、自分のための勉強ができる。
試験がない生活が僕をこれほど自由な気分にさせてくれるものだったとは、久しく忘れていた。

松山から成田に飛ぶ機上で、ダニエル・キイス著『アルジャーノンに花束を』(早川書房・小尾芙佐訳)を読み終えた。
主人公のチャーリイ・ゴートンは知的障害者だったが、手術により劇的な知能の発達を遂げる。
しかし、急激な知能の成長は周囲の人々を怖がらせ、かつては愚かしくも朗らかな青年だったゴートン自身にも慢心・人間不信を感じさせるようになる。
ダニエル・キイスは日本語版の序文で「この小説の読者たち、さまざまな年齢層の、さまざまな背景と文化と言語をもつおびただしいひとびとが、自分自身をチャーリイになぞらえるだろうとは、ゆめにも考えていなかった」と記していた。
実際僕もこの物語を読み進めるにつれ、「自分はチャーリイ・ゴートンなのではないか」と強く心を揺さぶられたうちの一人だ。

僕は幼いころどちらかといえば間の抜けた性格で、あまり勉強ができなかった。
小学四年生の終わる春に友達から誘われ中学受験塾に入り、最初はひどい成績をとっていたが、教材が自分に合っていたからか、次第に順位を上げていった。
塾に通い始めてからしばらくしたある日、かつて自分が書いた作文を見直した。
文法はむちゃくちゃだし、句読点の使い方も不適切で、文章は長たらしく主語すらはっきりしない。
塾でさまざまな文章を片っ端から読んで、適宜辞書を使いながら勉強をしているうちに、ようやく僕は(小学生としては)及第点の作文を書けるようになったのだった。
いままで目の前を覆っていたもやが取り払われたような気分がしたし、他人にわかってもらえる形で自分の考えを表現できるようになったことに清々しい気持ちを覚えた。
一方で、僕の様子を快く思わないクラスメイトもいたようだった。
あるクラスメイトは「おまえになんか塾は無理だよ」と僕の目の前で言ったし、別のクラスメイトからは「おまえはみんなに嫌われているんだよ」と根拠のない文句を伝えられ、(僕もその頃は他人の台詞を額面通り受け取るほど単純な性格だったので)気が動転したことがある。少しあとになってから彼に問い質すと「おまえが妬ましかった」という言葉をもらった。
いままで仲良くしてもらえていた人たちから疎ましがられる理由が、僕にはさっぱり理解できなかった。
いま『アルジャーノンに花束を』を読んで、その理由の手掛かりが与えられた気がした。
ここではこれ以上詳しく記さないが、主人公をからかうドナー・ベイカリーの店員たちに彼が抱いた心境の叙述は、僕にそれをうまく説明してくれた。

ダニエル・キイスは大学生だったころ、『アルジャーノンに花束を』の構想をメモに記したのだという。
「ぼくの教養は、ぼくとぼくの愛するひとたち――ぼくの両親――のあいだに楔を打ちこむ」
この言葉にはハッと気づかされるものがあった。
僕は帰省をするたびに、愛媛で暮らす両親たちとだんだん考えが異なってきている事実を感じる。
僕の変容、それは僕にとっては肯定的な意味を持つものであっても、彼らにとっては不愉快なものに思われるようだ。
大学でさまざまな人に会って、さまざまな考え方を見聞きして、それをもとに僕が認識を日々書き換えつつあることは、彼らからすると僕を僕なからしめる行為であるらしい。
素直だったおまえはどこに行ったの。勉強ばかりして性格が変わってしまったね。
僕たち家族はかつて毎日食卓で顔を合わせ他愛ない話をしていたのに、三年半の歳月が、僕が大学で得たものが、それをもはや不可能にしつつあるのかもしれない。
両親を前に僕が説明をすればするほど、僕の思いとは裏腹に、それは両親たちには許容しがたい、理解しがたいものとなっている。
帰省ついでに『アルジャーノンに花束を』を読んでいると、そうした観念が迫ってくるようだった。

2016年8月28日日曜日

メモ8

ついに院試も明日に迫った。
運悪く明日から関東は台風に見舞われるようで、交通機関の乱れが心配である。
今日は知識事項の最終確認や、持ち物の確認をして過ごそうと思う。

2016年8月21日日曜日

院試勉強

8月に入ってからずっと院試勉強をしている。
今月の初めに一度だけ高校の先輩方にお酒をご馳走になった日があったが、それ以降は断酒している。
そもそも酒を飲む気もあまり起きない。

ずっと机に向かっていると、東大受験のために勉強をしていた4年前の夏を思い出す。
何人かのクラスメイトとデパートの屋上で待ち合わせて一緒に受験勉強をしたこと。
毎日のように片頭痛に悩まされ、思うように勉強できなかったこと。
家族との他愛ない会話を通して、受験の不安を知らず知らずのうちに紛らわせていたこと。
「来年の今頃、自分は東京にいられるだろうか」と一日三回は自問自答していたこと。
いまの僕からすると、あの頃の僕がしていた「勉強」は稚拙で、消極的で、詰めが甘かったと思えるが、それでも受験のストレスを抱えながら自分なりに頑張っていたのだろう。
院試勉強のなかで、数ある勉強のなかでもとりわけ受験勉強は精神を消耗することを再確認しつつある。

院試の不安を最も効果的に取り除いてくれるのは、同じく院試を目前に控えている友人たちや何年か前に院試を終えた研究室の先輩達との会話だ。
友人たちは僕と同じように不安を抱きながら、もう勉強をやめたいと何度も思いながら、なんとか目の前の目標のために勉強を続けている。
この苦しい院試勉強をやってのけた経験者の一人が、目の前で話をしている。
それだけで僕には十分励みになる。

とはいえ院試勉強は孤独な作業だから、依然僕にとって厳しいものであることには違いない。
あと院試まで10日を切ったが、正直なところ、問題を解くほど不安が増幅する。
それらのほとんどはかつて講義で習ったものだし、試験勉強で覚えたはずの箇所なのだが、時間の経過とともに記憶から抜けたようだ。
自分の記憶から抜け落ちたままのピースがまだどこかに落ちているから探さなくてはいけない──そのような強迫観念めいた言葉が、既視感のある問題に遭遇するたびに沸き起こって、僕に焦りを感じさせる。
あと10日でどこまで仕上げられるか、僕にもまったく見当がつかない。

2016年8月14日日曜日

メモ7

連日院試勉強をしている。
まだあと2週間はこの生活が続くが、避けては通れない道だと腹をくくっている。

僕にとって大学受験は「自分の新しい居場所を獲得するための闘い」であったが、対して院試は「自分の居場所を守るための闘い」と言えるだろう。
それだけ今の研究室に愛着があるのだ。

2016年8月7日日曜日

キッズケータイを使い始める

6月の記事でモバイルルーター(DWR-PG)を使い始めたと書いたが、いくつか不満に思うところがあり使用を中断した。

一つ目の不満は、充電の手間が増えたことである。
電話回線のみで契約しているSIMを挿したスマホからインターネットを利用したいとき、DWR-PGにWi-Fiで接続していた。
この方法だと毎日スマホとDWR-PGの両方を充電しなくてはいけない。
スマホは常時使っているから充電を忘れることはないが、DWR-PGを充電クレードルに挿す習慣はなかなか定着しなかった。
DWR-PGをいつもバッグに入れて持ち歩いているので、お酒を飲んだ後等あまり意識がはっきりしていないときにはよく充電を忘れるのだ。
翌日電車の中からSNSを見ようとスマホを確認するとWi-Fiにつながらない──するとその日は一日中まともにスマホを見れない、ということになる。
これではモバイルルーターを持った意味がない。

二つ目の不満は、外出中にスマホを常時インターネットに繋げられないことだ。
スマホをしばらくスリープモードにしていると、自動的にモバイルルータとのWi-Fi接続が切断される。
また、モバイルルーター側も一定時間通信がなければスリープモードに移行してくれる。
バッテリー持ち時間の節約という意味ではこうした機能は有効だが、スリープ中にSNSで連絡があったときそれらをすぐに確認できない。
もちろん電話番号にかかってくる音声通話ならいつでも受けられるが、SNS・メールが連絡手段として台頭している現代で、この様は携帯電話としてあまりに頼りない。
研究室では緊急性のある連絡をLINEで交わすことがあるが、この状態でスマホを使い続け実際に何度か重要な連絡を見逃した。
これが続いては周りの人に申し訳ないし後々自分が困るから、モバイルルーターの使用を諦めることにした。

夏場は薄着になるので、ポケットの数も限られている。
財布、ハンカチ、スマホ、モバイルルーター……ズボンのポケットはこれだけですべて埋まってしまう。
ズボンに物を入れすぎると椅子の座り心地も悪くなるし、少しでも持ち物を身軽にしたいものだ。

そうした諸々の考えがあって、モバイルルーターに入っていたデータ通信回線SIMをスマホに差し替えた。
そして元々スマホに入っていたDocomoの音声回線SIMを、手元にあったキッズケータイ「HW-02C」に挿した。
HW-02C
おもちゃのような外見をしている携帯電話だ。
キッズケータイだけあってかなり機能が制限されている。
発信できる電話番号は電話帳に登録された10件までだし、SMSはプリセットされた定型文のなかからしか文面を選べない。
しかし、大人が使っていけないなどと説明書には一言も書かれていなかった。

僕の周囲の人々はほとんどがスマホ使いで、LINEアプリを入れている。
相手がLINEをしていれば大事な連絡はLINEで済ませられるから、わざわざ通話料の高いドコモの音声回線で通話をすることは滅多にない。
そもそも電話番号を交換した友人が指で数えるほどしかいない。
唯一音声回線で電話する相手といえば同一世帯割引で通話料がかからない両親程度だ。
両親か、セールス以外から電話がかかってくることはほとんどない。
これなら音声回線がキッズケータイでも問題ないだろう。
HW-02Cでは電話帳に登録された番号以外からの着信でも通話可能なので、僕の状況なら実用上困ることはない。

この端末は僕が高2だったころ、foma回線を安く契約するために仕方なく購入した端末だった。
僕はその回線を母からもらったおさがりのガラケーで使っていたし、大学入学後はすぐスマホを契約したから、HW-02Cは長い間使われることもなく、ずっと押し入れの中で眠っていたのだ。
4年前はまさか本当にこれを使う日が来るだなんて思いもよらなかった。

このたび久しぶりにHW-02Cを充電し持ち歩いているが、さすがガラケーの端くれだけあって電池が一週間程度も持つ。
充電端子はMicroUSBだから、普段スマホに使っている充電器がそのまま使える(わざわざこれを使うためだけにfoma用充電器を購入しなくてよいのだ)。
僕の使い方の問題かもしれないが、ズボンのポケットに入れているときスマホよりも着信に気づきやすいように感じている。

というわけで、僕はスマホとキッズケータイの二台持ちを始めた。
スマホからは緊急電話(119、110等)をかけることができないので、万が一に備えいつもキッズケータイを持ち歩くようにしている。
スマホの通信料が高くて勿体ない、でもキャリア回線を解約したくない…そういう場合にはスマホにMVNOのデータ通信SIMを入れ、適当なガラケーにキャリア純正SIMを入れて使う、いわゆる二台持ちがよく行われている。
手元にガラケーがない場合中古端末を買う手もあるが、精神衛生上中古品に抵抗がある人もいるだろう。
それに対しキッズケータイは安価だし、型落ち品なら新品でも2000円で購入できる。
特にHW-02Cの後継品、HW-01G・HW-01Dは自由文のSMS送信にも対応しているそうだからより便利だろう。
二台持ちならスマホを電話帳として使えるわけだから、キッズケータイの電話帳登録可能件数が少なくてもあまり問題ない。
電話を使いたい時だけ設定画面に入って、電話帳の一番上にこれからかける電話番号を登録すればよい。
僕は両親、親戚、不動産会社、研究室の身近な人等、緊急時にかけるであろう電話番号だけを登録している。

キッズケータイは子供用だから、多少手荒に扱ったり水にぬらしたりしても壊れにくい。
(大人が使うケースは少ないだろうが)防犯ブザーになる。
安価だし、電池が長持ちだ。
僕の使っているHW-02Cにはないが、後継端末だと懐中電灯、簡易留守録機能もあるそうだ。
大人には敬遠されがちなキッズケータイだけれども、スマホの補助の音声端末として使うには好条件ではないだろうか。

2016年7月31日日曜日

群馬ドライブ

毛無峠
今週末は友人たちと群馬県、および長野県を訪れた。
嬬恋の万座温泉に浸かり、硫黄臭が漂う露天風呂から満点の星空を眺めた。
東京都区内からは望めないような、おびただしい数の星が眼前に広がっていた。
翌日は群馬県と長野県の県境に位置する毛無峠、長野市の旧真田邸に立ち寄りつつ、東京へのドライブを楽しんだ。
久しぶりのドライブだったが、友人所有のハイブリッドカーはステアリングが軽く、運転し易かった。
本来訪れる予定ではなかったが、期せずして今年の大河ドラマで話題の旧真田邸、海津城を訪れる機会が得られたのは幸運だった。
院試前の良いリフレッシュになったように思う。

2016年7月24日日曜日

院試休みに入る

先週より院試休みに入った。

院試壮行会を兼ねた研究室の飲み会では、久しぶりに教授とお話しする機会があった。
先生の思い出で、ひとつ興味深い話があった。
「今じゃ聞かなくなったけど、むかしはこういうところで教授に『実はきみ、紹介したい子がいるのだが……』と言われたものだなぁ。付き合いのある企業の重役の娘さんを紹介されるって、よくあったんだよねえ」
かつて大学の研究室では教授が学生に就職先を斡旋することは多々あったそうだが、結婚相手まで見繕ったというのは初めて聞く類の話だった。
森博嗣氏のS&Mシリーズに登場する犀川先生と西之園萌絵のように、教授の娘と弟子が婚約を交わすこともあったのだろう。
普段先生とは研究の話ばかりで雑談することは滅多にないのだが、今回の飲み会では教授が抱いている老後の構想、研究に関する熱情等、一個人としての価値観を少し窺い知れたように思う。

終始和やかなムードであった研究室の飲み会を通して、いま所属している研究室に居続けたい思いは更に深まった。
教授から直々に励まされたことだし、ぜひ院試でその願望をかなえ、大学院でも同じ研究室で学びたい。
院試本番までにはまだあと5週間ほどあるから、適度に休息しつつ、院試勉強を進めよう。

2016年7月17日日曜日

卒業アルバム撮影

昨日は久しぶりに地理部の同期たちと顔を合わせた。
卒業アルバム用の集合写真を撮るためだ。

同期の多くは文系だからここ最近は就活で忙しかったようだ。
大学院に進学するので現在は就活をしていない理系の僕も、四月に研究室に配属されてからは地理部と疎遠になっていた。
そういうわけで、同期たちがここまで揃うのを見たのは久しぶりだった。

写真撮影には多くの後輩たち(主に3年生、2年生もちらほら)も駆けつけてくれた。
結局今年卒業する同期20名弱に対し、後輩たちがほぼ同じくらいの割合で集合写真に写っていた。

写真撮影が終わった後は、同期達の家を転々としながら酒を飲んでいた。
この頃飲み会といえば年の離れた研究室の人々とばかりだったから、年の近い部員たちの飲み会は新鮮に感じられた。
会話の内容が若い、とでもいうのだろうか。
自分がまだ大学二年生だった頃、旅先で地理部員たちと過ごした懐かしく濃密な時間、あるいは若い感情を想起させるものがあった。
僕がもう遠い昔(と言ってもまだ二年前なのだが)に置いてきてしまったものを再び見ている、そんな酒の席だった。

僕はこれから院試勉強に打ち込まなくてはいけないし、それが終わっても研究室漬けの日が再び始まる。
地理部員たち、特に同期達と同じ時間を共有する機会はもう卒業までに幾許も無い。
「もっと早くこのサークルを知っておきたかった」「暇だった時期にもっとたくさん活動にコミットしておけばよかった」
飲み会の後、同期と別れて一人で帰り道を歩いていると、そのように様々な後悔が現れるのだった。

2016年7月10日日曜日

免許更新

今日は江東運転免許試験場に行っていた。
初回の免許更新期限が近付いていたからだ。

日曜日ということもあって、試験場は免許更新を求める人たちでごった返していた。
受付、手数料支払い、適性検査、写真撮影の流れを終えるまでにほぼ一時間を要した。
自己顕示欲の強そうな服を着た男性、スマホでアニメを見ている老人、隙を見て母親から離れて歩き出す子供等、さまざまな人々を見かけた。
行列はなかなか進まなかったから、僕は時折彼らを観察して暇つぶしをした。

ようやく初心者運転者講習の受付を終え教室に向かっていると、一人の男性から声をかけられた。
僕の名前を呼んでいる。
話を聞いてみると彼は僕のフォロワーで、僕と同じく東大の4年生だった。
2年ほど前からTLでよく見かける人だったが、こうして彼と対面するのは初めてのことだった。
なぜ僕の姿が分かったのか、と彼に問うと、僕たちがまだ駒場キャンパスに通学していた頃、僕の知らないところで共通の友人が「あれがマーブルだよ…」と彼に教えたのだという。
おせっかいな友人を持ったものだ。

講習の開かれる教室に入り、せっかくの機会なので彼としばらく世間話をしていた。
共通の知り合いもわりと多かったし、学部も同じらしい。初対面ながら、あまり会話が途切れることはなかった。
そのうち中年の警察官が入ってきて、早口で講習を始めた。
「みなさんにとっても2時間は長いと思うので、早く終わるよう努めます。ご協力をお願いします。」とまず彼は喋った。
2年前に免許取得するため初めて江東の試験場に行ったとき、短気で不愛想な警察官に応対されて僕は無性に腹が立った覚えがあったが、今回はそんな不快な思いをせずに済みそうだ。
話が早くて助かる。
さっそく講習の中身に入る警察官の声を聞きながら、僕はそう思った。

講習ビデオは、まず交通事故によって娘の命を奪われた父親の話から始まった。
画面は将来美人になりそうだった女の子を写し、その父親は自動車運転が本来危険行為であること、いつでも運転者は加害者になりうること等を、寂しげな表情で語っていた。
僕は未婚だから我が子への愛情といった概念は未だうまく呑み込めないのだが、彼の言葉と表情はそれを突然絶たれた彼の絶望を僕に想像させた。
ほかにも、講習ビデオは事故の起きやすい様々な状況を例示していた。
こうしたことを聞くのは教習所を卒業して以来だが、さいわいほとんど僕が運転時に注意していることだった。
僕の運転技術はお世辞にも上手とは言えないが、僕はそのぶん無理な運転をしないように心がけている。
そのスタンスのおかげかさいわいこの2年間無事故無違反でだったし、今後も続けていきたいと考えている。
講習ビデオが終わると警察官は例の早口で、ふたたび事故の起きやすい状況、実際に都内で起こった事故等を説明した。
僕が毎日通っている東大付近の言問通りでもかつて大きな事故があったそうだ。
交通事故は他人事ではない、改めてそう思った。

警察官の言葉通り講習は予定より随分早く終わり、僕は新しい免許証を手に入れた。
今回免許証の顔写真は、前のものより随分とまともな表情をしていた。
これから3年間は臆せず免許証を身分証として提示できそうである。
このまま無事故無違反を維持して、次の免許更新でこそゴールド免許を取得したいものである。

2016年7月3日日曜日

エアコンが壊れたので週末を研究室で過ごす

下宿のエアコンが壊れてしまった。
冷気が出なくなったのだ。
そういえばこの2ヶ月ほどエアコンの効きが悪い気がしていたが、昨日いつまで経っても部屋が冷えないので室外機を見ると見事に動かなくなっていた。
不動産屋に電話するとすぐに修理を手配してくれたが、いまは修理が立て込んでいるらしく、月曜日まで訪問できないとのことだった。
昨日、今日とも、東京は日中の最高気温が30度を超えるような猛暑だった。
このまま下宿でじっとしていては熱中症になってしまうだろうから、今週末はずっと研究室で過ごしていた。
今週のブログも研究室で書いている。
あと少しで毎週欠かさず見ている真田丸の放送が始まるが、今日に限っては録画予約に甘んじ、明日修理が終わってから自室で落ち着いて見たいと考えている。
それほどエアコンなしの下宿で過ごしたくないのだ。

そういうわけで、今週末はほとんどの時間を実験データの解析や勉強に充てていた。
僕の研究室は平日でも21時にはみんな帰ってしまうようなところだから、案の定週末もほとんど人がいなかった。
まれに研究好きな中国人ポスドクが休日返上で論文を仕上げていることはあるが、その他の人々は忙しい時期でも滅多に現れない。
「ワークライフバランスが大事なんだ」「研究室は狭い世界だ、週末くらいはそこから抜け出してもいいだろう」と彼らは言う。
実際それで彼ら(ほとんどがポスドクだが)は成果を出しているので、きっと真実なのだろう。

僕はまもなく院試休みに入り、卒業研究がしばらくストップしてしまう。
わりと研究生活には楽しさを感じているのでそれについては残念だが、ここで研究を続けるために必要な手間と思えば仕方ない。
それまでに中間発表をしのげるだけの成果が出せれば御の字なのだが、研究はいつもうまくいくとは限らない。
いまはぼちぼちの結果を得るにとどまっている。
博士課程とは違って研究成果が卒業可否に直結するわけではないのだし、成果を求めてあまり焦りすぎないようにしたい。
院試が終われば本格的に研究に打ち込む必要があるだろうが、それまでは院試勉強か、休養に時間を充てたい。
院試休み中に少し旅行してみるのもよいかもしれない。
もとは旅行好きだというのに、もう3ヶ月は東京23区外から出ていないのだ。
そんなことを研究室の居室で旅行パンフレットを見ながら考えている、日曜の午後8時である。

2016年6月26日日曜日

モバイル回線を契約する

今週はモバイル回線(OCNモバイルONE)を新たに契約した。
僕の通信量は多くないので、最も安いデータ通信プラン(110MB/日)を選んだ。
それと合わせてBuffalo製3GモバイルルーターDWR-PGも購入した。
2010年販売の古い製品だからか、秋葉原のイオシスにて新品3980円という特価で販売されていた。
Buffalo製モバイルルーター DWR-PG
Amazonで購入したOCNのSIMカードをアクティベートしDWR-PGに挿すと、すぐに通信ができるようになった。
3G端末ゆえLTEの速い通信速度を活かしきれていないが、SNSやブラウジング程度の用途なら十分な回線速度が出ている。
通勤ラッシュ・お昼休みなどの回線が混雑しがちな時間帯でも接続に問題はない。
LTE端末なら顕著な速度低下が見られるかもしれないが、そもそも3G回線で接続しているので速度低下を実感しにくいのかもしれない。

僕は普段スマートフォンを使っているが、実はパケット通信プランをつけていなかったのだ(理由は1月の記事を見てもらいたい)。
荒療治(パケホーダイ解約)のおかげでスマホ依存症は治り、最近は屋外や人前でスマホを見なくなった。
そんな生活も慣れれば快適なもので、電車の中ではスマホを弄る代わりに文庫本を読むようになった。
人前でついスマホに触れる悪癖もほぼなくなったように思う。
パケホーダイ解約で自分の時間を確保する作戦は功を奏した、といえるだろう。
バッテリーの持ちは異様に長くなったし、あるときは三日間スマホの充電をしなかったことさえある。

「その生活、不便じゃない?」と何人かの友人に訊かれたが、それほど困ることはなかった。
東京はインフラが発達しているので、駅やコンビニに行けば必ず公衆無線Wi-FiやDocomo Wi-Fiがある。
それらを利用すれば待ち合わせ等に必要な連絡は大抵済ませられる。
普段一日のほとんどを過ごす大学にも無線LANがあるので、インターネットには繋げようと思えば実質いつでも繋げられた。
パケホーダイのない生活に僕は僕なりで気楽さを感じていたものの、いざというとき通信できなくて周りに迷惑をかけるといけないから、この際保険としてMVNOでデータ回線を契約することに決めたのだった。
DWR-PGはたった100g程度しか重さがないので、ずっとバッグの中に入れておいても気にならない。
連続通信時間は6時間だが、僕の使い方ならば毎日充電器を持ち歩く必要もなさそうだ。
月400円ほど(OCN光セット割適用後の月額料からdocomo Wi-Fi解約で浮いた月額料を差し引くとこうなる)の追加投資で再びモバイル回線が使えるようになったので、今回の買い物には満足している。
秋葉原のイオシスにはまだDWR-PGの在庫が潤沢に残っているようだから、「とりあえずいつでも繋がる通信環境を安く整えたい」と考えている人は購入を検討してみるとよいだろう。

2016年6月19日日曜日

ずんだ餅

今週は22歳の誕生日を迎えた。

それを聞きつけた研究室の先輩たちが先日誕生会を開いてくれた。
誕生会に行ってみると、ずんだロールケーキがあった。
どこにあったのか、と買い出しに行った人に尋ねると、丸の内の大丸東京店にあるずんだ茶寮まで買いに行ったのだという。
僕はずんだ餅が好物だと何度か話したことがあったから、それを配慮してたケーキを選んでくれたのだろう。
とてもうれしい話だ。
ずんだロールケーキ

僕が初めてずんだ餅を食べたのは小学5年生の頃だったと思う。
「変わった餅があるよ!」と、珍しい物好きの母が生協で注文したのだった。
数週間後、緑色の粘土のような餡に包まれたずんだ餅が届いた。
ずんだ餅
初めてずんだ餅を見た感想は「なんで緑色なん…苦そう…」というものだったと記憶している。
ずんだ餅は仙台名物だから、愛媛出身の僕には見慣れない代物だった。
「騙されたと思って、食べてみ」と母に急かさたので、気が進まないながらも餅を一個口に入れた。
不思議な感覚を味わった。
枝豆の触感と味が舌に広がるが、適度に甘い。餅と合わせて食べると美味だ。
もう一個の餅は餡を多めにつけて食べる。
先ほどより濃厚なずんだ餡が餅に絡みつく。うまい。
また一個、さらにまた一個、と食べるうち、プラスチックケースはすぐ空になってしまった。
僕はすっかりずんだ餅が好きになって、母にまた買ってもらうようねだった。
母は「それは難しいねえ」と言った。ずんだ餅は愛媛のスーパーではまず見つからない菓子だったし、生協のカタログにもそれは滅多に載らなかったからだ。
僕にとってずんだ餅は、いわば年に数回しか食べられない高級食材だったのだ。

それから何年か経って、僕は大学進学を期に東京で一人暮らしを始めた。
東京は全国の風物がなんでも揃うところだ。
それはずんだ餅も例外ではなく、愛媛にいた頃よりは格段にずんだ餅へのアクセシビリティが高まった。
近所のスーパーには(いつもではないが)ずんだ餅が置いてある。
日曜になると店先で餅つきがあって、様々な種類の餅が販売されている。
嬉しいことに、僕は以前よりずっと簡単にずんだ餅を食べられるようになった。
それでも毎日これを食べられないのは惜しいけれども、いま以上頻繁に食べてはかえって有難みが無くなるというものだ。

おととし仙台に行ったときもずんだ茶寮で「ずんだシェイク」を味わったが、今回の誕生会では「ずんだロールケーキ」のほかにも、「ずんだ大福」を食べさせてもらった。
どちらも大変美味であったから、また折を見て食べたいと考えている。
次はいつずんだ茶寮に行こう?

2016年6月12日日曜日

研究室生活について(2)

研究室に入って二か月ほど経つ。
この頃ようやく一人でできることが増え、実験指導をしてくれるボスに常時頼りっきりの状態から抜け出しつつある。
簡単な実験操作は何回か繰り返せば覚えられたし、1本の論文を隅々まで理解しスライドにまとめる方法はセミナー発表準備を通して大まかな流れを学んだ。

その一方で、実験の時間配分、研究計画の立て方、論文を批判的に読む方法等については、先輩達から学ぶべきことがまだまだ多い。
特に僕が現在苦戦しているのは、最後の「論文を批判的に読む方法」だ。
論文を批判的に読めなければ良い質問が生まれない。
質問を持てることが先輩達・教授陣が生み出すディスカッションの輪に関与できるようになるため必要な条件だと僕は感じつつある。

実験指導をしてくれているボスに最近上記のようなことを話したとき、「確かに、論文をきちんと読めたら自然と質問は生まれるだろうね」と返答があった。
「その論文はなぜ生まれて、どのような性質を有していて、将来的にどこを目指しているのか……」そこまで考えが至るほど論文を読み込む作業は思った以上に難しいし、多くの時間を必要とすると感じている。
研究発表の場では論文を読むときよりそれをずっと短時間で済ませる必要があるから……さらに難易度の高い営為ではないのだろうか。

研究に関わる上できわめて重要なスキルである「質問を繰り出せること」について、どうすればこれを体得できるのか、最近ずっと考えを巡らしている。

レンブラント『夜警』
今週は研究室メンバーのすすめで、研究室の個人用imacの壁紙をレンブラントの『夜警』にした

2016年6月5日日曜日

よく行く東京の飲み屋

今日は僕が好きな東京の飲み屋を記そうと思う。
これらのほとんどは友人が教えてくれたものである。
素敵な飲み屋を紹介してくれた友人たちに感謝する。

  • ふぶき(上野・御徒町)
 御徒町に位置する立ち飲み居酒屋。ここは海鮮料理が安価に美味しく食べられることでよく知られている。テレビ番組で何度か紹介されたこともあるそうだ。
 実際僕が友人Aと初めて来店したとき、まだ17時だというのに満席だった。5分ほど店の外で待っていると店員から「お入りください」と声がかかり、店内に2組しかないテーブル席のひとつに案内された。狭い座席だったが、立ち飲みにくらべ落ち着いた環境で友人と歓談できたのはラッキーだったといえる。メニューの料理を見るとどれも相場に比べ安価だった。刺身、ホタテバター、カキフライ等々、食欲の赴くままにあらゆる海鮮料理を注文をした。2時間制が終わるころにはお腹も一杯になり、お酒もあいまって良い気分になっていた。それほど頼んだにも関わらず勘定は二人で5000円を超えなかったと記憶している。
 先日あるおじさんにこのお店を紹介したところ、酒好きな彼はその日のうちにここを訪れていた。瀬戸内の生まれの彼曰く「ぼくの地元の魚介に比べたら味は劣るけど、東京でこんなにも安く魚介が食べられる店があるとは知らなかったよ。魚が食べたい気分になったらまた行こうと思う」だそうである。彼が来店したときも店外に行列が出来ていたそうであるから、ここを訪れるなら少人数で行くか、早い時間を狙うことをオススメする。

  • バル・デ・リコ(池袋サンシャイン通り)
 池袋の大学に通う友人Bが教えてくれたスペイン料理の居酒屋だ。おそらく僕が最も好んで行っている店だと思う。僕はここの生ハム盛り合わせとパエリアが大好きである。アヒージョを頼むならバケットは忘れないようにしたい。「本日のオススメ料理」ではその時点で旬の食材を使った料理が安い値段で提供されている。先月訪れたときは愛媛県産ハマチを取り入れたカルパッチョを味わった。
 池袋サンシャイン通りという好立地にしては広い店内だし分煙もしっかりされているから、タバコの苦手な人でも安心して訪れられる。早めに予約をすると、落ち着いた端っこのテーブルに案内してくれるのもプラスポイントだ。少人数で会話と食事を楽しむという目的では、ここはいつも安心して利用できる店だ。
 姉妹店として池袋駅前店・エアライズ店もあるので、万が一満席だったらこちらもトライしてほしい。

  • 石窯バル GaBURi(道玄坂)
 渋谷道頓堀劇場(ストリップ劇場)横の路地に入りしばらく進むと、道玄坂エリアに位置するとは思えないほど閑静な場所にこの居酒屋がある。1枚500円というリーズナブルな価格で焼き立てピザを頬張ることができる。僕は特製ピザ『下町スペシャル』(お好み焼きとピザを融合したような、不思議なピザだ)がお気に入りだ。
 座席はビール樽でできたテーブル席とカウンター席がメインだが、奥には6人ほどが座れる半個室スペースも用意されている。ただし奥のスペースは1組しか利用できないので、大人数で訪れるなら事前に空席状況を確認しておく必要があるだろう。
先輩Cと初めてここを訪れたときこの店の名前は『VOCO 凹 shibu』だったのだが、2015年春ごろに店名が現在のものへと改称され、メニューも以前のイタリアンバル的なものから和風寄りの傾向に変わった。とはいえ店内にどっしりと構える石窯は健在なので、以前同様安価な焼きたてピザを楽しむことができる。
 渋谷・道玄坂エリアの隠れ家として僕はこの店を重宝している。

  • ワイのすけ(新橋)
 ここはとある中小企業の社長Dさんが教えてくれた新橋の飲み屋だ。ワインがとても安いお店で、食事も含めたコストパフォーマンスは抜群に素晴らしい。新橋という立地上メインの客層は社会人だが、値段を考えれば大学生にも十分オススメできるお店だ。騒がしい大学生まみれの居酒屋を訪れたあとでここに来ると清々する。

  • ビストロ・アリゴ(神保町)
 ここも先ほどの友人Aが教えてくれた居酒屋だ。この居酒屋の特徴は何といってもその内装で、昔の日本家屋をそのまま利用している。昔ながらの吊り下げ電球に照らされた階段を上ると、店員にちゃぶ台まで案内される。そして座布団に座って食事をとる。雰囲気はまるで小学生の頃よく訪れた母の実家のようだ。
 その日本風インテリアに反して、ここはフレンチ居酒屋である。電球に照らされた畳の部屋で、ワインと一緒にスペアリブを味わう…味覚だけでなく、レトロで少し不思議な感覚も楽しめる。

2016年5月29日日曜日

Keynote

Keynote

先週研究室でKeynoteによるプレゼン(学生セミナー)を初めて行った。

今まで僕はまともにプレゼンを行ったことがなかった。
研究室では基本的にmacが使用されているから、学生・スタッフの発表も自然とKeynoteによるものが主流となる。
僕もこの際研究室の流儀に倣ってKeynoteでスライド作成を行った。

アニメーションのきれいさ、フォントの選択肢などの点において、KeynoteはPowerpointに優るとされている。
自分はいままでPowerpointをほとんど使った経験がないから二つを比較することはできないが、初めてスライドを作成する僕でもKeynoteは簡単に扱えた。
おかげでセミナー発表はなんとか無事終わった。
しかしながら、使いこなせていない機能もまだたくさんある。

今後自分が発表する学生セミナーは何回かあるし、来年には卒論発表会が控えている。
研究室にいるとプレゼンを行う機会はいくらでもあるから、これからもっとKeynoteの使い方を勉強し、面白く理解しやすいスライドを作ってみたいものだ。

2016年5月22日日曜日

東大生が利用すべき各種オンラインサービス

 本日の記事は東大内部生向けの内容である。僕は東大に入学して四年目だが、東大は学生に対し多くの有用なオンラインサービスを提供していると日々感じている。今回はそのいくつかを紹介しようと思う。
 ECCS2016への移行に伴ってECCSの学生向けメールサービスがクラウド化された。ECCS2012のメールサービスは殺伐としたメールアドレス((学生証に記された10桁の数字)+@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp)とその容量の少なさ(300MB)ゆえに、あまり使い勝手の良い仕様ではなかった。
 新しくなったECCSメールでは好きな文字列をメールアドレスに選べるし、容量無制限となった。仕様はほぼ通常のGmailと同じだから、Gmailを愛用する人間ならストレスなく利用できると思う。Googleドライブも容量5TBまで利用できるから、僕は研究室のmacにGoogleドライブアプリをインストールし、ほぼすべてのファイルの保存先をそこに指定している。研究室でダウンロードした論文や作成した文章を自宅でもすぐに確認できるようになった。Googleドライブでは自動的にファイルの差分バックアップをとってくれるので、「間違って必要なファイルを消しちゃった…」「編集しているうちにファイルを開けなくなった…」という事態が起こっても焦らずに対応できる。

 自宅にいるとき、あるいは外出先で、急に読みたい論文が出てくることがある。大学外のネット回線から論文をダウンロードしようと試みると、論文掲載雑誌との契約がないので通常課金を要求される。前もって大学のネット回線から必要な論文をダウンロードしておけばいい話なのだが、いつもその用意ができるとは限らない。そのようなときこのSSL-VPNを経由すれば、多少の手間はあるけれどもだいたいの論文を閲覧できるようになる。
 オープンアクセスではない論文を大学外から読みたいとき、このサービスはかなり重宝する。

 東大生のなかでは知名度の高いサービスなので説明は不要だろう。しかし僕は普段utroamを使用していない。理由は次のeduroamの項目を参照してほしい。

 eduroamとは、大学など研究教育機関で無線LANの相互利用をするためのシステムだ。東京大学はもちろんのこと、国内外の大学の多くがeduroamに参加している。つまり、eduroamに参加する別の大学を訪れたとき、eduroamのアカウントを持っていればそこで無線LANを利用できるのだ。最近ではヨーロッパを中心に公共施設にeduroamを取り入れる動きもあるので、海外旅行時で重宝するかもしれない。
 東京大学は内部の学生向けの無線LANサービスとしてutroamを掲げている。しかし実際はutroamのアクセスポイントとeduroamのアクセスポイントは併設されているから、学内での利用可能範囲はutroamとeduroamで同一だ。東大のeduroam FAQによると「学内のeduroam無線LANは、学外からのゲスト及びutroamのゲストアカウント用として整備されていて、本サイト発行のアカウントでの利用は想定されていません」とのことだが、仕様上は学内でも問題なく使える。
 学内ではutroamを使うことが推奨されているが、それとは別にeduroamアカウントを持っていても損はないだろう。僕はutroamに付きまとう半年ごとのアカウント更新が煩わしくてeduroam(アカウント有効期限が1年間)に乗り換えてしまった。

 東京大学の各組織がマイクロソフトと交わした契約により、東京大学の一部の学生や教職員はWindows OSやOffice製品などを個人用PC 1台にインストールできる。Windows 10 EducationやOffice 2016などの最新製品ももちろんインストール可能だ。自分の持っているPCにOfficeが入っていない学生、Officeの一部が入っているがPowerpointがインストールされていない学生などには利用価値の高いサービスだ。僕は秋葉原で拾ってきたOSなしジャンクPCにこのライセンスを利用してWindows 10 Educationをインストールした。
 工学系・理学系の学科・専攻ならほとんどのところでこのプログラムを利用できるが、残念ながら契約を交わしていない学科・専攻も多くある。

 東大は学内向けにNTPサーバーを設置している。研究室に置いているPCにNTPサーバのアドレスとしてntp.nc.u-tokyo.ac.jpを指定すれば、時間にとても正確なマシンの出来上がりだ。NTPサーバはネットワーク遅延を少なくするために最寄りのサーバを利用することが望ましいとされている。学内向けのNTPサーバーなら一般のNTPサーバを使う場合よりトラフィックや遅延は少ないだろう。


 ほかにも有用なサービスがあれば、ぜひ教えていただきたい。


(番外編)
  • 東京大学キャンパスカード
 入学手続きの際に勧められるがまま契約した東大生向けクレジットカードだが、僕は入学以来ずっとこのカード1枚でクレジット支払いを済ませている。表面に"THE UNIVERSITY OF TOKYO"と書かれている以外、外見・サービスともに特に目立った特徴のない学生クレジットカードだ。卒業後は「東京大学卒業生カード」に切り替わるらしい。最近申し込みの書類を大学生協で見なくなったが、まだ申し込みは受け付けているのだろうか。
 海外旅行自動付帯保険は一度海外でスマホを盗まれたとき利用した。おかげでいくばくかの端末代金が返ってきた。

2016年5月15日日曜日

五月祭

15日から本日16日まで、東京大学本郷キャンパスでは『五月祭』が開催されていた。

東大の学祭は年二回行われる。一つは五月に本郷キャンパスで行われる『五月祭』であり、もう一つは十一月に駒場キャンパスで行われる『駒場祭』だ。
本郷キャンパスには東京大学の教育・研究機関の多くが集中し、多くの学生が専門課程をここで学ぶ。それゆえ、五月祭では通常の学祭らしい模擬店・ライブイベントなどのほかに、本格的なアカデミック企画が多く催されていることが特徴的である。
僕は大学一年の頃五月祭に模擬店を出店し、大学三年では所属学科の学術展示を手伝った。

あいにく今年は研究室生活が忙しく、僕はほとんど五月祭にコミットできなかった。
企画者として関わったイベントはないし、そもそも土曜日は研究室のセミナーがあったので五月祭どころではなかった。
日曜日にようやく時間ができたので、午後から五月祭に出かけたのだった。

まず自分の所属するサークル、地理部の立体日本地図を見に行った。
昨年の駒場祭では七年の歳月をかけ完成した立体日本地図が展示されていたが、今回の五月祭ではその一部のみが取り扱われていた。
おそらく駒場祭の時ほど広い展示部屋を確保できなかったためであろう。
その代わり、合宿で訪れた恵那、多くの東大生が暮らす世田谷などについて、新たにピンポイントな立体地図が製作され、展示されていた。
せっかくなので高校生の知人をそこに呼び、立体地図を見てもらった。
ここまで規模の大きな立体日本地図は見たことがないからか、知人は熱心に写真を撮り、一緒に来ていた友達と地図について興味深げに話していた。

次に理学部一号館で物理学科による学術展示を訪れた。
実験コーナーに行くと、ちょうど友人が超伝導体に関する実演を行っていた。
自分たちでいくつかの無機化合物を混合・焼成し、超伝導体を作ったのだという。
実際に友人の作った結晶は、液体窒素中で超伝導を示していた。
超電導体の上から磁石をそっと乗せると、磁石は宙に浮いていた。
また、磁性流体に超伝導体を近づけると、磁性流体が特異的な挙動を示していた。
超伝導体内には磁場が侵入できない(マイスナー効果)ので、磁性流体は超伝導体を避けて動くのである。
友人の作った超伝導体。磁石が宙に浮いている
友人の作った超伝導体。磁石が宙に浮いている
そのあと、真空ゆらぎに関する展示を見ていた。
真空のゆらぎはきわめて微小なので、実験で観測することは困難だったそうだ。
地上十階で実験を行うと建物自身の揺れでうまく観測できなかったという。
地下二階でも同様に実験を行ったが、なんらかの要因で周期的な揺れが生じ、本来観測したい真空揺らぎは観測できなかったらしい。
ポスター担当の学生は、「東大の近くには地下鉄が通っているし、微小な揺れを観測するにはあまり適切な場所ではないのだと思います。もっと振動の少ない場所を確保しなくてはいけなかったのでしょう」と語ってくれた。

最後に、有志による女装子カフェを訪れた。
東大は女装文化が盛んで、駒場祭では毎年女装コンテストも開催されている。
今回の女装子カフェでは、過去の女装コンテスト出場者が(もちろん女装して)給仕として飲み物を提供していた。
後ろのほうではお酒を飲んで陽気にラップを口ずさむ男たちもいたが、客の多くは日頃から熱心にツイッターに傾倒している東大生たちだった。
カフェ内はちょっとしたオフ会のような様相を示していた。
「昔は僕も熱心にツイッターをやっていたが、最近は本業が忙しくなってツイートを見る時間も無くなってしまった。だが、たまにこうしてフォロワーとオフ会するのも刺激になっていい。」そんなことを思いながら、僕はフォロワーとしばらく歓談していた。

今年の五月祭はたった三時間の滞在だったが、普段見かけない知人たちに会い会話を楽しめたので、充実していたと感じる。
また十一月の駒場祭も同じように過ごせたら良いものだ。

2016年5月8日日曜日

研究室生活について(1)

研究室に配属されてから5週間が経った。
人の名前を覚えるのが苦手な僕だが、最近はようやく研究室メンバーの名前を間違えることもなくなった。

四月は慌ただしかった。
配属後一週間も経たないうちに教授から卒論テーマが与えられた。
自分のテーマについて以前どのような試みがなされ、いま何が問題となっていて、将来的にどのような応用が期待されているのか、そうしたことが全く分からないまま、いつの間にか卒論課題が決まっていた。
この一か月ほど初歩的な実験をしたり、論文を読んだり、同様のテーマに取り組んでいる先輩達の話を聞くことで、自分の課題に潜んでいる問題点がようやく明らかになりつつあると感じている。

専門知識をある程度講義で学んだとはいえ、実際に研究室に配属されると毎日のように自分の知識の不足を実感する。
テストに出題されるのは、講義で聞いたことがあるものだけだった。学生実験のレポートに書くべきことは、実験手引書か参考文献を読めばおのずと分かる。目の前にいる教官達は満点の解答例を知っていた。
ところが、研究に必要であるとか、見聞を広めるために論文を読んでみると、自分の聞いたことのない事柄ばかりで溢れている。たまに「学んだことがあるもの」をその中に見出すこともあるけれども、何か月も前に聞いたことだから記憶が曖昧になっている。それどころか、論文にすら「これはわからない、後の研究を待つ」と記されていることだってある。
実験をすれば「この手順には何の意味があるのか」「どのような方法を試せばよいデータが取れるのか」と様々な疑問が思い浮かぶ。そのうちのいくつかは教科書や論文を見れば書いてあることだが、なかには先輩や指導教官ですら知らない場合もある。
そのような体験を繰り返すうちに、「自分の研究で明らかにしたい対象は、今まで誰も知らなかったことだ」と僕は改めて実感するのだ。
何も知らないところから、過去に誰かが為し得たことを理解できるレベルに達するために、何冊かの専門書を読み、多くの時間を充てねばならなかった。今でも十分それを理解できるわけではない。依然多くの労力を充てなければならないだろう。

研究にはある程度の新規性が求められるが、それを為すべき僕の知識はまだ浅い。未熟ながらも必要ならば自ら何かを学び、場合によっては先輩達や教官の教えを乞いながら、未知の事柄を自分の研究生活を通して明らかにし、卒論として形にしたいものだ。

2016年5月1日日曜日

モノクロレーザープリンター

僕は三年前の春に大学進学のため上京した。
引っ越しが済んでから三日ほど経ったある日、僕は同郷の友人を誘い、新宿西口のヨドバシカメラを訪れた。
目当てのものはモノクロレーザープリンターだった。

実家ではインクジェット複合機が使われていたが、僕は常々その使い心地が気に入らなかったのだ。
インクジェット機はウォームアップに時間がかかるし、長い間使っていないとインクの出が悪くなる。
純正の替えインクはべらぼうに高いのに、すぐ使い切ってしまう。
紙面に汗が垂れたり、湿った手が印刷面に触れると、像が滲んで見栄えが悪くなる。
これでは蛍光ペンも満足に引けない。
「一人暮らしをするようになったら、下宿に置くプリンタはモノクロレーザープリンタにする」というのは、高校の頃に僕がずっと考えていたことだったのだ。
むろんお金があればカラーレーザープリンタにしたかったが、大学の講義資料やレポートを印刷するためにしかプリンタを使わなさそうだったから、僕は安価で手入れが簡単なモノクロレーザープリンタを買うことにしたのだ。
僕はデジタル写真のプリントはカメラ屋に任せているので、必ずしもカラー印刷できる必要はなかった。
1枚20円で数十年の耐久性がある高品質プリントが得られるなら、わざわざインク/トナー代が高い家庭用プリンタですぐ劣化する写真を印刷する意味は小さいだろう。

さて、ヨドバシカメラのプリンタコーナーに足を運んだが、僕の目的にちょうど良さそうなモノクロレーザープリンタはすぐ見つかった。
キヤノンのLBP 3100だ。起動後10秒も経たないうちに印刷を開始し、1分間に16枚のプリントを吐き出してくれるという。
値段は1万円もしなかったし、1000円のキャッシュバックまでついてくるという。
僕はその場で購入を決め、汗をびっしょりかきながら世田谷区の自宅までそれを持ち帰った。
僕のプリンタは想像以上に重たかった。軽いインクジェット機を買った同郷の友人は「大変そうだなあ」とにやにやしながら、階段の上から僕を何度も見下ろしていた。

ようやく家に帰ると、僕は梱包をとき、よく陽の当たるテーブルの上にプリンタを置いた。
そうして三年前僕のそばに鎮座することになったプリンタは、それから数百枚のレジュメと、たくさんの紙ごみを印刷してきた。
モノクロプリンタの動作は速いから、僕はその様子が見たくて英検の過去問を意味もなく何年分も印刷したこともあった。中身は全く目を通さずに終わった。当時受けた英検一級は当然ながら落ちた。
デスクトップPCが壊れメインPCをThinkpad X200に変えてからも、キャンパスの移動で世田谷の下宿を引き払い本郷近くのマンションに移ってからも、僕はそのプリンタを愛用している。
床の上に直接置くと埃が詰まるから、去年には近所の道具屋で専用のすのこ台を買ってあげた。
プリンタ
モノクロレーザープリンタ Canon LBP3100
僕の大学生活において八面六臂の活躍をしてくれたモノクロレーザープリンタだが、最近はご無沙汰気味である。
僕は研究室に配属され、いつでもカラーレーザープリンタで資料を印刷できるようになったからだ。
論文はカラーで読めたほうが視覚的に理解しやすい。
そして研究室のプリンタなら自分で表裏を差し替えなくても両面印刷できる。

いまでは下宿でベッドサイドテーブル程度の役割しか果たさなくなったモノクロレーザープリンタだが、三年たっても故障する様子はないし、トナーも一度変えただけだ。
まだまだ活躍する見込みはありそうだが、とりあえずは今日も僕の傍でおとなしくしておいてもらおう。

2016年4月24日日曜日

Microscopic Interests

「君は日本人にしては英語を話す、どこで勉強したんだ?」
「さあ……ずっと日本に暮らしているし、英語は学校でしか学んでいませんよ。強いて言うなら僕は言語が好きです。それにもともとお喋りなもので」
「俺も言語は好きだ。実は日本で暮らし始めてから日本語を勉強し始めた」
「ああ、それでよく日本語を喋るんですね。どうやって勉強したんです」
「日本語講座に通っている。ここにいる日本人の連中に教えてもらうのも手だったけど、俺は独立心が強いから頼りたくなかった。同僚に『○○くん、教えてください~』と頼むの、ダサいだろ。講座にはもう二年ほど通っているが、最近2級をとったのがちょっとした自慢だ」
「すごい……僕はそこまで言語をやりこめる気はしません。でもイタリア語、あれは好きです。響きが陽気だし、イタリア人も陽気。イタリア語は挨拶を覚えているだけでも面白い。去年イタリアに行ったときそれを感じました」
「そうだな。イタリア人は面白いやつらだ。どこに何日行ったんだ?」
「ローマに一日だけ。フュミチーノ空港で乗り継ぎをしたとき、ついでにローマを見てきました。食べ物は安くて美味しかったし、建築物は美しかった。また行きたいですね。貴方は行ったことありますか」
「ヴェネツィアに二日だけだな」
「じゃあ僕と似たような感じですね」
「同じく乗り継ぎだよ。乗り継ぎで街を訪れるのは金がかからなくて賢明な旅行プランだと思うね」
「たしかに。でもローマではスマホを掏られたので結構高くつきましたね」
「お気の毒に。君はイタリアに行けばどう見ても『外国人』だからな。スリの標的になりやすいんだ。それに海外の都市は日本ほど安全じゃない。いや、日本が安全すぎるんだ」
「同感です。もうちょっと注意すべきでした。それにしてもローマは危ない街でした。盗難証明書をもらうために警察署に行ったけど、盗難にあった人でいっぱいでしたよ。警官も人の名前が覚えるのが面倒みたいで、僕たちを『ジャポネーゼ!』『フランチェーゼ!』だとか、国籍で呼ぶんです。さすがに苦笑いしましたよ。ところで貴方は昔ベルリンにいたんでしたね。ちょっとだけ旅行したんだけど、安全で清潔で、いい街でした」
「そうだろう。ベルリンはいいところだった、とても」
「ところで……貴方はなぜ研究者になろうと思ったんですか」
「好奇心が強いからだ。なぜ空は青いんだ?宇宙は真っ暗なのに、空は青く見える。よく考えたら不思議じゃないか。自然にはそれ以外にも不思議なことがあふれている。でも多くの人はその理由を知らずに過ごしている」
「なるほど。物理や化学をやった人間ならそれはわかるだろうけど、みんながそういった分野を知っているわけではないですね」
「この机に使われている木とプラスチックだってそうさ。どれだけ多くの人がこの二つの違いを知っている?多くの人間はそれを知らずに過ごせるだろう。でも俺はさっき言ったように好奇心が強いから、それだと我慢できないんだよ」
「その気持ちはわかります」
「今まで誰も知らなかったことを知りたい。自分でそれを解明したい。そう思ったから研究者になったんだ」
「とても面白い話ですね。誰も知らないことを自分で見つける、というのは僕も何となく持っている願望です」
「博士課程に興味はないのかい」
「さあ……わかりません。研究活動が好きになるかわからないし、お金の問題もある。可能性は排除しないですが」
「いや、別に強制しているわけじゃないよ、君の人生だ、君が自由に選んでいい。それに修士卒で企業に行ったって面白い研究はできる。ただ、研究が好きなら行って損はしないだろうさ。」
「どうでしょう……僕は研究を始めたばかりだし、まだわからないことだらけです。あと二、三年以内にはしなくちゃいけない選択ですけど、今はなんとも言えないですね」
「なるほど。じっくり考えなさい。じゃ、俺は解析があるので失礼するよ。また後で」
「お疲れ様です。面白い話ありがとうございました」

2016年4月17日日曜日

地理部の宣伝

 いままで二年間世話になっていることだし、今年は自分の所属するサークルの宣伝をさせてもらおうと思う。

 新年度が始まり二週間が経った。僕の過ごす本郷キャンパスは基本的に大学三年生以上の通う場所であり、新入生の姿を見かけることはまずない。反面、新入生に溢れた駒場キャンパスではきっと今年も様々な団体が新入生勧誘にいそしんでいるのだろう。僕のサークルでは新歓活動は基本的に大学二年生のお仕事だから、四月だけれど僕はサークルから縁遠い生活を送っている。
僕も最近は研究室が忙しく時間が取れなくなっているのでありがたい限りだ。

 大学一年生のなかにはサークルや部活の新歓イベントに毎日顔を出している人もいるだろう。高校までの学校と異なり、大学にはクラスごとの教室がない。毎日大学で講義を受けているだけではなかなか友人はできない。もちろん大学に友人関係を求めない人もいるだろうが、これからの最短四年間を友人なしで過ごせる勇気のある人は多くないだろう。サークルや部活に入ることは「せっかく大学生になったのだし、これからは人間関係を広めたい…」と思っている新入生に良い選択肢だ。大学生は今までより自由な時間の使い方ができるぶん、社交の選択肢は充実する。
誰かの家で夜遅くまで語り合ったり、同年代の友人と泊りがけで旅行に出かけたり、高校生/浪人生だった今までより自由な交友ができる。そのうち同期達とお酒が飲めるようになれば、普段言えないような悩み、秘密を友人たちに打ち明けたり、打ち明けられたり、質・量ともに充実した人間関係が構築できる(といってもこれはお酒を飲めなくい人でもできることだ、体質的に飲めなくても安心してほしい)。

 さて、「どこのサークルに入ればいいのか」という問題だが、ここで東京大学地文研究会地理部(略して地理部)を宣伝させてもらおうと思う。おすすめする理由はいくつかある。

  • 入部条件(大学名,年齢,参加費, etc.)がない完全なインカレサークルである
 ご存知のように東大には多くのサークルがあるが、入部条件がある場合も少なくない。東大女子不可、未経験者不可、一発芸が面白くないと入部拒否など、いくつかのところは新入生が気軽に入りづらい条件を課している。本当にそのスポーツ/文化活動に情熱を持っている人間をセレクション(選抜)することは団体にとって重要だが、ただ何となく友人を探している新入生には敷居が高く感じられるだろう。地理部は入部にあたって特に条件を課していない。東京近辺の大学に通っている学生ならだれでも入部できる。自分の大学がどこであれ気に病む必要はない。実際地理部には「自分の大学外のサークルにいたんだけど、なんとなく煙たがられて…」という他大学の学生がやって来て、積極的に参加している。年齢制限もないから、大学二年生以上でも気軽に参加することができる。現に僕が大学二年で地理部に入ったのだが、「彼は大学で同じ学年だけど、サークルに入ったのは自分が後だから先輩と呼ぶ」ということはない。同じ学年なら、入った時期に関係なくフランクに付き合っている。上下関係は特に厳しくないので、先輩・後輩とも気軽に接している。参加費は全くいらない。必要なのは交通費・食費・宿泊費くらいである。
  • 散歩・旅行ができる
僕は「地理部とは何をしているサークルなのか」と他人に聞かれたとき、「散歩・旅行サークルだ」と答えている。これについてはサークル内でも賛否両論が飛び交っているが、公式ウェブサイトにそう書かれているからこの答えで一応問題ないだろう。基本的に地理部は週末に東京近郊を散歩(巡検)し、長期休みには合宿で日本各地を巡る。旅行好きにはおすすめだ。「では地理に関する活動をしないのか?」と聞かれるが、そうとは限らない。有志により立体日本地図製作が普段から行われていて、東大の学祭(五月祭・駒場祭)では完成品が展示されている。巡検では地理好きが趣味を反映したコースを組むこともある(コンセプトとしてはNHKのブラタモリに近いかもしれない。実際地理部はタモリの番組に縁がある…らしい)。地理に興味がある人間も楽しめるはずだ。サークルの性質上、地理部には鉄道好きが多く集まっている。その知識を生かし、巡検・合宿のプランはかなり効率的に組まれている。ほとんどすべての行程が鉄道だけで済ませられるので、合宿費は(相場に比べ)安く抑えられている。イメージとしては、非営利旅行代理店といってもいいかもしれない。
  • 参加義務がない
 すべての巡検・合宿・イベントは自由参加だ。勉強が忙しいときは巡検を休んでもいいし、お金に余裕が無さそうならコンパに出なくてもいい。僕はこれをいいことに実験レポートで多忙だった大学三年生の一年間はほとんど巡検に行かなかった(ごめんなさい)が、特に実害は生じていない。長期休みの合宿だけ行く人、コンパにだけ来る人、巡検なら可能な限りすべて行く人、いろいろなタイプの部員がいる。全く地理部と関係ないところで出会った人に挨拶すると、「実は俺も地理部員なんだ…幽霊部員だけど」と言われたこともある。入部により義務が生じるわけではないのでこのようなことも生じるが、もともと入部人数が多いので今のところ部員不足は問題となっていない。もちろんある程度活動にコミットすれば、多くの友人が見つかるだろう。現に僕が大学で作った友人の多くは地理部に由来する。

 この記事を見て「なんとなく面白そうだなぁ…」と思ったら、新歓巡検に参加してみるのが良いだろう。今年の巡検予定は公式ウェブサイトで閲覧できる。事前連絡は特に不要だ。特に4月28日から29日にかけて行われる「山手線一周巡検」はおすすめだ。午後七時頃に駒場キャンパスから出発し、渋谷を起点として山手線を外回りで十二時間以上かけて一周する。夜の東京を安全に味わえる面白い企画で、地理部の伝統行事となっている。40km以上を歩く気力がなければ終電帰宅・始発合流も可能だから、気軽に参加できるだろう。今年も僕はこれに参加するつもりだ。

2016年4月10日日曜日

Meaningless Prologue for a Bachelor Thesis

「『天職』っていう言葉があるけど、英語でなんて言うかわかる?」
「 Vocation ですか」
「それも確かにあるけど、ここでは Calling としよう」
「ああ、なるほど」
「俺は学部4年で研究室に配属されてずっと研究をやってきたけど、修士2年のときにまだ研究を続けたいと思ったんだよ。まだここで終わりたくない、何かが自分を呼んでいる、って感じかな。天職、 Calling を感じた。それでドクターに進んで、何とか今までやってこれた。競争の激しい世界だし、自分の領域を確立しないと残れないのがこの世界の掟だ。一寸先は闇だよ。俺たち研究者は自分の身を賭けて研究をやっている。師匠と同じことをしていてはオリジナリティがないからね」
「まだ研究室に入って間もない僕には想像のつかない世界ですね。これから一年間は教授に与えられたテーマを進めていくことになるのですが、いったいどういうスタンスでやっていけばいいのでしょう」
「まずは与えられたテーマに満額回答、いや120パーセントの答えを出してみるといい。オリジナリティを追及するのはそれからだよ。俺は研究を進めていくうちに二種類の人間が出てくることを経験している。自分のテーマに愛しさを感じるようになる奴と、そうでない奴」
「毎日それについて考えていれば親近感を覚えるようになると思います。きっと前者が研究者向きなのですね」
「そうとも限らない。それが自分のストーリーではなく、教授のものに見える瞬間が訪れるんだよ」
「ああ。確かに教授が問題を提示して、学生はそこから出発しますね。答えまでたどり着くのは自分の力に大きく依存するかもしれませんが」
「研究室、という環境も大きいよ。君たちは結構恵まれた環境にいる。高額な測定装置がいくつもあるし、器具だって贅沢に使える。野球で例えるなら、イチローがいる球団の二軍にいるようなものかな。君を指導する教授は立派な成果がいくつもあるから、お金をたくさん持っている。別の所に行ってみると、自分のいたところが恵まれていたと気付くんじゃないかな。大事なものは失ってから気付くとでもいうのか」
「似たような経験をしたことがあります。僕はむかし学校の写真部にいて、放課後は毎日暗室作業をしていました。モノクロフィルムを現像し、紙に焼き付けるんです。あるとき顧問とどうしても意見が一致しなくて、抗議の意を込めて写真部をやめました。別に写真部じゃなくても写真は続けられる、そう思っていたんです」
「なるほど」
「じゃあ実際にまたモノクロ写真を続けようとするとどうすればいいのか。僕は市の美術館が持っている暗室を使うことにしました。お金のない高校生には無料というだけでありがたかった。でも実際写真部にいたころと同じクオリティーを無料暗室で再現しようと思っても、なにもわからなかった。いったい現像用品はどこで買えばいいのか、印画紙は何がいいのか。結局通信販売で揃えられましたけど、おこづかいも多くないし、写真部にいたころのような贅沢なプリントは再現できなかった。備え付けの機材一つとっても、うちの写真部にあったものとは格段に劣るものでした。全国大会で優勝した経験があるような部だったから、機材に充てる予算をたくさん持っていたんですね」
「いい経験をしたね。俺だってもし今のラボを追い出されたら、薬品の買い方だって怪しい。とにかく、君は実験するには恵まれた環境に置かれたんだ。イチローの下で野球を学べるようなものだよ。それを十分に生かしてほしいね。ああ、そういえばさっきの話に戻ると」
「オリジナリティの話ですか」
「うん、そう。自分が与えられた研究テーマは本当に自分でなければだめだったのか、と思うようになる。隣の研究室にいる○○君がもし自分のテーマを進めていたら、やはり同じ結果を出したんじゃないかってね」
「学生実験みたいですね。学ぶべきことはすでに決まっていて、手順は本に書かれている。レポートには期待された答えを書けばいい。自分たちは実験を通して試行錯誤しながら新しいことを学んでいるようだけど、それって実は教授達の決めた通りに動いているだけなんじゃないかって」
「学生実験と比べるのは極端だけど、そんな感じかな。自分がいなければこの研究は、この領域は決して成立することはなかった、そう思えるようになるのが夢だ。俺が研究に命を賭けようと思えるのは、その夢があるからだ。俺もまだ若いから確かなことは言えないけどね、教授はいつか弟子に自分と同じ段階で悩んでもらいたいんだよ」
「それってどういうことです」
「学生の君は若いから、まだ初歩的なことで躓くだろう。そういうとき遠慮なく周りに質問していけば、自分の独力で頑張るより早く上達する。だから恥じずに質問することだね。ところで教授はプロだから、他の人には想像がつかないようなレベルの高いところで悩む。君が仮に悩んでいたとして、教授はむかし同じことを悩んで乗り越えただろう、あまり大きな問題ではない。でも教授は長い目で計画を立てている。必然的にその悩みは深遠、難解だ。もし君が同じ悩みを持つようになったら、君は教授と同じレベルに立ったということだ。もう弟子扱いしていられないし、君の意見と本気で取り組むようになるだろう」
「そこまで何年かかるでしょうね」
「俺だってまだその域には達したとは言えないだろう。若手だからね。今日はB4の君にはまだ早い話が多かったけど、とりあえず教授の出したテーマに完璧を目指して取り組んでみることだ」
「ええ、なんとかやってみます。ありがとうございました」

2016年4月3日日曜日

東大院試のためのTOEFL受験記

 去る3月19日にTOEFL ibtを初めて受験した。ちょうど10日後の3月29日に結果が返ってきたので、今日はその結果と併せてTOEFL ibtを振り返る。

  • TOEFL ibtを受験した目的
 東京大学大学院工学系研究科を受験するため。東京大学工学系の院試は例年8月下旬から9月上旬にかけて行われ、多くの学科で英語試験(TOEFL ITP)・専門科目試験・面接が課される。自分の志望する学科ではTOEFL ibtのスコアを提出し英語試験に代えることを例年認めている。すなわち、前もってTOEFL ibtを受験すれば院試直前期の勉強時間を専門科目のために充てられるのである。

 TOEFL ibtではリーディング・リスニング・スピーキング・ライティングの4分野が出題される一方、TOEFL ITPではリーディング・リスニングの2分野のみ問われる。一見するとTOEFL ITPの受験が有利に思われる。しかしTOEFL ITPは院試本番の1回しか受験できないのに対し、TOEFL ibtは出願締め切りまでなら何度でも受験できる。その中で最も高いスコアを大学院に提出すればよい。また、前述したように院試直前期に英語の勉強をする必要がなくなる。TOEFL ibtもTOEFL ITPもアカデミックな場面での英語運用力を試す試験だから、出題される語彙やテーマがよく似ている。それゆえTOEFL ibtのための勉強はTOEFL ITP対策に通じている。たとえ今回TOEFL ibtで満足できるスコアを獲得できなくても、出願締め切りまでTOEFL ibtを受け続けるか、院試でTOEFL ITPを受験すればよい。

 そうは言ってもTOEFL ibt受験料は高額だ。日本で受験すると230米ドル、3万円弱かかる(台湾なら170米ドル、韓国なら185米ドルで受験できる。日本での受験料は特に高いが、オーストラリアの300米ドルと比べればまだ安い)。何度も受けていたら家計が破産してしまう。僕はとりあえず1度だけ受験することにした。

  • 現状分析と目標設定
 まず目標点を設定する必要がある。僕は大学1年と2年のとき、IELTSを受験し、2回ともOverall 6.5をマークした。ここからTOEFL ibtのスコアを予想してみよう。

 TOEFLとIELTSの様々な換算法のなかで最も信頼できるのは、TOEFLが公式にIELTSとのスコア相関を調べたもの(外部リンクpdf)だろう。TOEFLとIELTSはどちらもアカデミックな領域を狙う受験者をターゲットとした試験である。目的と形式が似ている試験のスコアの相関関係を分析したこのレポートは信頼性が高く、参考になると考えられる。

 さて、僕が最後に受験したIELTSのスコア(2014年9月受験時)は次のようであった。
 Reading 7.5 / Listening 5.5 / Speaking 6.0 / Writing 6.5 / Overall 6.5
これをもとに、先ほどの論文を参照しながらTOEFL ibtのスコアを予想すると次のようになる。
 Reading 27-28 / Listening 7-11 / Speaking 18-19 / Writing 21-23 / Total 73-81
実はIELTSを2013年に受験したときListeningスコアは6.5だったが、それ以降真面目に英語の勉強をしなかったためリスニング力が落ちたようだ。もしそのときのListeningスコアならTOEFL Listeningで20-23に相当し、Totalの予想スコアは86-93にまで上昇する。

 もし大学1~2年の頃のIELTSベストスコアを採用するなら、僕はTOEFLで最高93点獲得できることになる。ただ最後にIELTSを受験してから1年以上英語を勉強しない環境で過ごしたので、英語力は落ちただろう。まずは大学入学時点の英語力を回復する必要がある。そこで今回は目標点を90点と設定した。

  • 勉強法
TOEFL ibt対策のため、単語帳としてCD-ROM・DL付 完全攻略! TOEFL(R)テスト英単語4000を、問題形式把握と演習用の問題集としてBARRON'S TOEFL iBTを使用した。勉強期間は2か月と短かったため、単語帳は2周、問題集は1周にとどまった。TOEFL ibtはListeningの配点が全体の1/4となっているが、SpeakingとWritingには英語の講義を聞いて問いに答える問題が存在する。実質ListeningがTOEFL ibtに占める割合は1/2といってよい。ご覧のとおり僕のListening能力は貧弱だから、これを重点的に特訓した。具体的には問題集を解くほか、BBC Radioの生放送ニュースを毎晩聴いたり、なるべく字幕を見ずに洋画を鑑賞したりするなどの対策を行った。

 最後にIELTSを受験したとき「英単語が耳に入るが、意味を持つ文として理解できない」現象が起こっていた。これを防ぐため、予想問題を解く際は一つ一つの単語の聞き取りに注力するのでなく、センテンス全体を聞き取るように心掛けた。放送文の理解が妨げられるようなら敢えてメモを取らないこともあった。Listening予想スコアははじめ13点だったが、何度か問題を解くと聞き取り能力が身についたのか、20点前半を獲得できるようになっていた。

 正確な勉強時間は把握していないが、平均して毎日2~3時間は英語に充てるようにしていた。Barron'sの問題集は8週間計80時間で1周できるように作成されているが、復習の時間を考えるとプラス10時間はかかるだろう。英単語の勉強時間や前述のListening対策を含めれば計100時間以上費やした。

 公式問題集では1冊に3回分の予想問題しか入っていない一方、Barron'sの問題集には8回分収録されている。数をこなしてTOEFLの問題形式に慣れる意味ではBarron'sの問題集が良い選択肢だったと思う。非公式の問題集だったが、本物の試験と比べ質的・量的に大きな差異があったとは思わない。Barron'sのTOEFL問題集にはいくつか種類がある。僕が購入したのは冊子+2CD+1CD-ROMバージョンで、CD-ROMに入ったソフトからTOEFL ibt本番形式の予想問題を8回分解くことができる。ReadingとListeningで自動採点機能が働くのは重宝した。質の良いメモをとるための指南が書かれている点もおすすめだ。SpeakingとWritingではメモ取りスキルが必須である。ReadingやListeningではメモを取らない人もいる。僕はReadingでメモを取らない派だが、Listeningでは細かい情報に限ってメモを取っている。全ての考えについてメモを取っていると、いくら時間があっても書ききれない。問題文をmp3プレイヤー等で聞きたい場合、放送文の音声ファイルはWindowsであればソフトをインストールしたPCの「C:\ > Program Files (x86) > TOEFL > audio」にすべて揃っている。

 対策期間が短かったので、問題集の活用は、練習問題と予想問題を解きながら、初見の単語を整理し、Speakingのシャドーイングを行う程度にとどまった。より万全に対策するなら、本教材のSpeakingやWritingの添削をオンラインで依頼したり、問題の全文章について音読・シャドーイングを行うべきだったと思っている。

  • 試験当日
 以前TOEFL ibtを受験した友人は「TOEFLは受付が終わった人から試験を始めるから、試験時間は人によってバラバラ。早めに入室すると自分がリスニングしているときに他の人がスピーキングの試験をしていないから、気が散りにくいよ」と言っていた。このアドバイスにしたがい、当日は集合時間より15分早く試験会場に到着した。早く受付を終えた場合、自分のReading試験中に他の試験者が続々と入ってくる。人によっては気が散るかもしれない。

 ダミー問題(TOEFLが研究・調査のため余分に出題する問題で、スコアにはカウントされない)はReadingに現れた。前半2問はスムーズに解けたが、後半2問は読解力不足のため焦りながら解いた。後半2問はあまり正確に解答できなかったと思う。1問あたり20分のペースを維持し、ダミー問題も含めすべて回答した。開示されたスコアでは予想よりReadingの得点が低くなかったので、後半2問のうちの1問がダミー問題だったのだろう。Listeningは予想問題通りの感触だった。おそらく20点代前半だ。

 Reading・Listening後の10分休憩ではトイレに行き、バナナを食べながら水を飲んだ。そのおかげか後半の試験では集中力を維持することができた。バナナは素早く食べられるし、脳に必要な糖分が豊富だ。

 僕は英語を喋るのが遅いのでSpeakingで時間が余ることはなかった。反面、あまり内容が盛り込めなかったように思う。WritingではIntegrated Essay・Independent Essayともに最低文字数はクリアしている。難しい単語は少ししか使用していないし、TOEFLで求められるような論理的な展開は書けなかったので点数は期待できないかもしれない。また、入力端末に日本語キーボードが使用されている一方入力は英式だったから、アポストロフィ(')が入力できずに焦っていた。結局所有格のofを乱用した。あとで調べてみたが、shiftキー+7でアポストロフィが入力できない場合、Lから右に二つ隣にある「け」のキーを押せばよかったようだ。

 9時30分から始めた試験は4時間後の13時30分に終了した。

  • 結果
 Reading 27 / Listening 22 / Speaking 18 / Writing 21 / Total 88 となった。目標点に届かなかったのが悔やまれる。普段の調子ならばReadingであと2点得点することは可能だっただろう。Listeningは昔の調子が戻ったようだ。大学1年生のときに獲得したIELTS6.5相当だ。Speakingは思ったより得点できていない。自分の意見を述べるパートの評価が低かった。Writingは表現の乏しさと論理展開の甘さが減点につながったのだと思われる。

 結局過去のIELTS得点から予想したスコア範囲内にすべてのスコアが収まっている。思ったよりも低くなくて安心した気持ち反面、大学に入ってからあまり自分の英語力が上がっていないことをまざまざと見せつけられたようだ。ともあれ、付け焼刃な2か月のListening対策はある程度功を奏したと言える。

 TOEFL ibt 88はTOEFL ITP 570に相当するようだ。今後正式に工学系研究科から今年の募集要項が出れば、このスコアを提出するか、あるいは院試でTOEFL ITPを受験するか、方針を決定したい。

  • 結論
 2カ月間でも適切な参考書を使えば自学自習でTOEFL ibtにある程度太刀打ちできる。特にIELTS受験者ならば手持ちのスコアから目標点を立てやすいだろう。東大教養学部では3年前から希望者にIELTS無料受験を実施しているので、内部受験生にはIELTS経験者が少なからずいるはずだ。

 TOEFL ibtを人気会場(たとえば東京都内)で受験したい場合、受験日の2か月前までには申し込みを済ませるべきである。都内で受験したい場合、1か月前ではもう会場に空きがないだろう。

 問題集の選択は自分の好みで選んでよいと思われるが、別にTOEFL用の単語帳を用意して学習を進めるべきである。大学入試に出題される英単語と比べればTOEFLの英文に使用される語彙はハイレベルだ。しかしその出題語彙範囲は限られているから、十分に語彙対策を行えば「ほとんどの単語を見たことがある/知っている」状態でTOEFLに望むことは可能だ。

 「工学系研究科の院試で英語をアドバンテージにするならTOEFLで何点以上獲得すればよいのか」という問いには、残念ながら確証をもって答えることができない。TOEFLスコアをどのような方式で英語の点数に反映させているか、東大が公式に発表していないからだ。合格者平均点等の情報も開示されていない。

 昨年工学系研究科の院試を終えた某氏(TOEFL ibtスコアは100)によると「TOEFL ibt 80以上なら東大内部受験者平均より英語はできるほうだと思うよ」とのことだったので、目安としてはTOEFL ibt 80 / ITP 550以上を狙っていけば良いのかもしれない。

 東京工業大学大学院の昨年度の募集要項(外部リンクpdf)を引用すると、例えば数理・計算科学専攻で英語スコアの取り扱いは次のようになっている。
下記の英語外部テストのスコアシートを提出したものについては英語試験を免除し英語試験を満点として取扱います。  
TOEFL-iBT  80 点以上 
TOEFL-PBT 550 点以上 
TOEIC   730 点以上
同様の尺度が工学系研究科でも採用されているかは不明だが、国内の理系大学院でTOEFLがこのように取り扱われていることはスコア目標を立てる際に参考になるだろう。それにしても、TOEIC過大評価され過ぎでは.


 僕のTOEFL ibt初受験記は以上である。これから学会発表等で英語を使う機会は増えるだろうし、今回の結果に甘んじず英語を勉強しつづける必要があるだろう。ふたたびTOEFL ibtを受験するときまでには、SpeakingとWritingの能力を底上げしておきたい。


<10月3日 追記>
工学系院試の英語試験にこのTOEFL iBTスコアを提出したが、点数開示をしてみると英語の得点は6割ほど(114/200)だった。お世辞にも高い点とは言えないし、正直TOEFL ITPスコアより過小評価されているようにすら感じられる。それゆえ、きわめて高いTOEFL iBTスコアを持っているか、院試直前期に英語をなるべく勉強したくない場合を除いては、院試英語にはTOEFL ITPを選択したほうが良いだろう。

2016年3月27日日曜日

新宿のカメラ屋をはしごする

新しいレンズをつけたF3
懲りずにまたレンズを購入した

今日は新宿に出かけ、中古カメラ店を何軒か回っていた。
目的は「50mm標準レンズ」である。

僕は普段NikonのフィルムカメラF3に広角28mmをつけてほとんどの撮影を済ませている。
28mmの画角は広角のスタンダードと言われるように使いやすい。
旅先の風景を収めたいとき、多くのシチュエーションは28mmで対応できる。
ただ、人物撮影など、もっと狭く場面を切り取りたいこともある。
そこで「50mmレンズ」を購入することにした。
50mmレンズは一度使ったことのある画角だったから慣れている。
それに50mmは玉数が多いから、明るくて安いレンズが手に入りやすい。夜間や室内での撮影にも効果を発揮するだろう。

まずカメラのキタムラ新宿西口店に立ち寄った。
エレベータを4Fで降りると、まず左手のコレクター商品が目に入った。
「Noct Nikkor 58mm F1.2 刻印誤字 超希少」
レンズに顔を近づけてみると、"Noct-NIKKOR"と刻印されるべきところに"Nocf-NIKKOR"と書かれている。
ただtがfになっただけでプレミア価値がつくことが馬鹿々々しくに思われてつい笑ってしまったが、値札には「69万円」と書かれていた。
相場の二倍以上ではないか。国立大学の学費一年分よりも高い。
ノクトニッコールが夜景撮影にきわめて優れた性能を発揮する名オールドレンズであることは知っていたが、tとfを間違えただけでその価値が2倍になるとはただ驚くばかりだ。
もちろん買えないのでその場は立ち去る。
そのまま奥のニコンコーナーに近寄ると、2本の50mm F1.4のMFレンズが目に入った。
Ai-S時代のものと、Ai改造を施されたNikkor Autoが陳列されている。
Ai-Sは15000円、Nikkor Autoは8000円。
外観はそれほど汚れていないし、状態もBランク以上だった。
これは悪くない、と目星をつけたところで、店を出た。

キタムラから歩いてすぐの所に、新宿中古カメラ市場がある。
ここは銀塩カメラやオールドレンズの品ぞろえが豊富で、すでに生産終了されたアクセサリーでも簡単に手に入る。
ニコンのMFレンズももちろん多くあるはずなのだが…今日に限って全く50mm F1.4が見当たらない。
あったとしてもAi改造されていないNikkor Autoだ。
Nikkor Auto時代のレンズでも僕の持っているF3に装着はできるが、絞り込み測光しかできない。
ピントを合わせやすさと速射性が落ちそうだから、今回はパスした。
Ai 50mm F2が何本か置いてあった。これも悪いレンズではない。ニッコール千夜一夜物語に記事があるほどの名品なのだから。
ただ、僕はせっかくなら今まで使ったことのないF1.4の明るさを体感してみたかったし、昔Ai-S 50mm F1.8なら持っていたから今更F2を買う気にはならなかった。
Ai-S 50mm F1.8はコンパクトで安いがよく写る名レンズだったけれども、鏡筒が短いのでピント合わせに苦労した。そのうち使うのが面倒になり売ってしまった。
フラグシップ機F3にコンパクトなF1.8はアンバランスだったのだろう。Nikon EMくらい小さなカメラと合わせて使えば良かったのかもしれない。
ここに来たついでに、Leicaのコーナーも見ていた。
レンジファインダー機は軽いし、50mmレンズをつけて使うなら悪くない選択肢だ。それに写真を趣味にしているものとして、いつかLeicaを持ってみたいという淡い願望がある。
Leica IIfが目に入る。
バルナックライカの名機Leica IIIfからいくつかの機能を削って作られたIIfだけれども、腐ってもLeicaだ。精巧な作りゆえに、いまだこれを愛用するカメラマニアもいる。
最高シャッター速度は1/1000秒だから後期型のようだ。お値段は19000円。えっ、本当にLeica?
20000円で動作品Leicaオーナーになれる千載一遇のチャンスが図らずも来てしまった。
店員に頼んで、触らせてもらう。初めて触るLeicaだ。緊張を覚える。
外観は汚れているが、実用には問題なさそうだ。所有欲をそそられる。
「これで適当なLマウントレンズそろえれば僕もLeicaで写真を撮る粋な趣味人になれる…」そう思ったところで、目が覚めた。
もしこれを買ってしまったら、必ず僕はLeica純正レンズを欲しがるだろう。きっとサードパーティーのLマウントレンズでは納得しない。
僕はそういう性格なのだ。
運よくエルマー50mm F3.5を手に入れたとして30000円は下らない。
自己分析によると、僕は汚れた中古品はメンテナンスしないと気が済まないだろうから、さらにオーバーホール代に50000円はかかりそうだ。
ちょっとお手軽価格でLeicaを手に入れたつもりが、奨学金まで溶かしてスッカラカン…という結末が見えたので、今回はIIfを諦めることにした。
見栄を張って買い物すると大抵ロクな目に合わない。
「Leica……今度きみに触れるときはもっと僕が大人になってからだな……」
そう心でつぶやいて店を出た。

中古カメラBOXは道路沿いの地下にある。
店内には所狭しと中古カメラが並べられている。
まるで秘密基地に来たようだ。
まっすぐニコンMFレンズコーナーに向かうと、レンズがいつになく多く置かれている。
後ろのほうで店主が客と思しき男性と「昨日ニコンのAiがずいぶんたくさん入ってきたんだよナァ」と歓談している。なるほど、そういうわけか。
Ai時代の50mmはもちろん、Ai-S時代の50mmも10本近くあったように思う。
特にAi-S 50mm F1.8だけで5本は売られていた。「大人気」とタグが張られている。あのレンズそんなに人気だったんだ…もう売っちゃったけど。
品ぞろえは多かったものの、カメラのキタムラで見つけた50mmよりは若干値段が高かった。
もう一度カメラのキタムラに出直し、最後の選定に移ることにした。

キタムラで先ほどの50mmレンズを2本指定し、見せてもらう。
値段の割にどちらも外観はよく、中に若干ホコリがみられる程度だ。カビは生えていない。絞り羽根に油は浮き出ていない。
Ai改造されたNikkor Autoならば、Nikon F3につけても絞り開放測光ができる。値段は8000円だ。
Ai-Sならば現在でもNikonから販売されているので、壊れてもメーカーのサポートは問題ない。値段は15000円。
数分ほど思案した末、「Nikon F3で普通に使えるレンズが安く手に入るならそれでよかろう」と判断し、Nikkor Autoを購入することにした。
店を出て、新しいレンズ(といっても40年以上前のレンズなのだけど)をF3に装着した。
ヘリコイドは軽めだけど、F1.4と明るいレンズだからピントはつかみやすい。
何枚か試射したのち、「良い買い物だった」と確信し、僕は満面の笑みを浮かべた。

古いレンズだから、コーティングは今のレンズほど効果的ではない。
ハレ防止のためフードを買い足したほうがいいだろうが、現行品のフードはデザインが味気ないし、高い。
再び中古カメラBOXを訪れ、Nikonの純正フードを探した。
すぐに700円で良い感じの純正金属製フードが見つかった。
白抜き文字でFと刻印されている。まるでNikon Fが販売されていたころのフードだから、Nikkor Autoとはよく似合うだろう。
レジに現物を持っていくと、店主はレジを打ちながら「えっ?お客さんこれ700円で見つけたのかい、この型ちょっと珍しいんだけどね。ラッキーだね」と笑っていた。
ははぁ、さては値段をつけ間違えたのだな。確かに、同時期に生産された金属製フードはどれも2000円以上の値がついていた。いずれにせよ、買ってしまえばこちらのものだ。
「Nikkor Autoに似合うフード探していたんで助かりましたよ」と笑いながら僕は答えた。
50mm F1.4に適合する現行品フードはHS-5だが、新品だと1200円する。フード代が500円節約できたのは幸いだった。

家に帰り、D5000に先ほど買ったレンズをつけて試射をした。
D5000にはAi連動機構がないからこのレンズをつけるとマニュアル撮影しかできないが、それでもこんな昔のレンズを現代のデジタル一眼に装着できるのはニコンならではの話だ。
Fマウントは1959年のNikon F発売以来、ずっとニコンの一眼レフカメラに採用されている。
長期間にわたり同一マウントを採用しているから、最近のデジタル一眼カメラユーザーでもオールドレンズの描写を楽しむことができる。
レンズを選ぶ際に選択肢が多いこと、これはFマウントユーザーの受けられる最大の恩恵だ。
オールドレンズで撮った写真
Nikkor S・C Auto 50mm F1.4 / F5.6 1/30sec
絞り開放ではさすがに色収差が目立ったが、F5.6に絞ればグッと締まった描写をしてくれる。
フォーカスエイドが働くので、マニュアル撮影とはいえそこまでの苦労は感じなかった。
ただし、あくまでこのレンズはF3のために買ったのだから、デジタル一眼で使いにくくてもあまり問題ではない。
F3はマニュアルフォーカス時代の一眼らしくファインダーは見やすいので、このレンズのピント合わせは肉眼でも十分可能だ。
フォーカスリングの短さが気に入らなくて売ってしまったAi-S 50mm F1.8より、ピント合わせの感触に好感が持てる。
来週には桜が満開になり、撮影日和になる。実戦利用の機会は早速ありそうだ。
散歩用レンズ・夜間撮影用レンズとして、すでに持っている28mm F2.8と共に大活躍してくれそうである。

2016年3月20日日曜日

Dell Latitude E6220のレストア

今日は秋葉原に行き、ジャンクノートPCを物色していた。

「10000円以内で、HDD欠品で、Intel Core i5搭載の、可動品ジャンクPCはないかな…」と思っていたところ、ある路上販売が目に入った。
「Core i5搭載!HDD・メモリーなし BIOS起動確認 8000円 ノートPC」
これはまさに自分が求める条件だ。
ACアダプターも付属するという。かなりお買い得だ。
手に取ってみたところ、外見は摩耗しているもののキーボード・トラックパッドは比較的綺麗だった。
実用上の問題は無さそうだと判断し、そのまま購入した。
それから近くのPCパーツ店「ショップ・インバース」に立ち寄り、4GBのジャンク中古メモリを購入した。
メーカーはCFD Elixirで、規格はDDR3 SO-DIMM PC3-10600である。
Thinkpad X200で長らく使用しているメモリと全く同じ型番だったので、問題なく動くだろうと判断したのである。
Dell Latitude E6220
Dell Latitude E6220 8000円
家に帰ってから型番を調べると、「Dell Latitude E6220」とのことだった。
CPUはCore i5 2520Mだ。Core i5の第二世代、クロック数は2.5GHzだから今でも十分実用的な性能だろう。
液晶は12.5インチワイド(1366×768)だった。小さめだけれども、持ち歩くならこれくらいのサイズがちょうどよい。
もともと入っていたOSはWindows 7 Proだったようである。今回はWindows 10 64bitをインストールするつもりだから、これは正直どうでもいい。

裏蓋を外した様子
裏蓋を外した様子

さっそく裏蓋を開け、簡単に筐体内の掃除をした。
裏蓋を固定するネジはたった1本だった。DellやLenovoのような海外メーカーのノートPCは分解しやすい。アマチュア修理屋にとってはありがたい話である。

このPCには2.5インチベイが1か所存在し、7mm厚までのHDD/SSDに対応している。
多くの2.5インチ内蔵HDDは9.5mm厚だからこのPCには収まらない。
僕が使おうとしたSSDは9.5mm厚だったけれども、黒い枠と表側の蓋を外せばぎりぎり7mmを下回る。基板がむき出しになってしまったが、上から絶縁性の膜を被せるのでショートする危険性はなさそうだ。そのまま使うことにした。
蓋と枠を取り去って無理やりSSDを嵌め込んだ

そしてメモリを嵌め込む。もし相性問題が起きてもThinkpad X200に使えばいい。今回のメモリ交換は気が楽だ。
今回使用した規格はDDR3 SO-DIMM PC3-10600
電源を入れると無事BIOSが立ち上がった。SSD・メモリは無事認識されている。
ここまで来ればもう失敗する恐れはない。8000円のジャンクPCは息を吹き返したのである。
メモリが認識された

SSDも無事認識された

手元にはWindows 7 Pro 32bit版のライセンスキーとインストールディスクがあった。
しかし今はWindows 10の時代だ。せっかくWindows 10 64bit版のインストールディスクを持っているから、今回はこれを導入しよう。

一番確かな手段はまずWindows 7 32bit版をインストールし、Windows Update経由でWindows 10 32bit版にアップグレード、その後インストールメディアで64bit版をクリーンインストールすることだ。
しかしこの手段は少なくとも3回の作業を伴う。
事前情報によると、Windows 10のインストール画面でプロダクトキーの入力を求められる際、Windows 7/8のもので代用できると聞いていた。
時間が節約できるので、今回は後者の手段でインストールしてみよう。

E6220には光学ドライブがないから、外付けDVDドライブでWindows 10 64bit版のインストールメディアを読み込む。
プロダクトキーにはWindows 7のものを入力した。
あっけなく認証は通り、Windows 10 64bit版のインストールが始まった。
Windows 10をインストールする
30分ほど放置しているうちにインストールが無事終了した。
8000円のジャンクノートPCは、3000円の追加投資(メモリー代)と、余っていたライセンス・SSDによって、見事復活を遂げた。
復活した8000円ジャンクノートPC
これまで使っていたCore 2 Duo搭載のThinkpad X200と比べると、格段にレスポンスが良い。
今日からはLatitude E6220をメインで使うことにしよう。
僕もようやくCore i5ユーザーである。

※3/21 追記
Windows 10ではいくつかのデバイスが自動でインストールされなかった。
「PCI シリアルポート」「大容量記憶域コントローラ」「不明なデバイス」「Broadcom USH」の4つである。
ネットで調べてみたところ、これらのデバイスはWindows 7 64bit用のドライバを適用すると認識されるようだ。
必要なドライバはDellのウェブサイトからダウンロードすることができる。
以下に各デバイスとドライバの対応関係を列記する。
E6220向けの情報ではないが、Dellのサポートにある記事も参考になる。
  • 「大容量記憶域コントローラ」 チップセット - O2 Micro OZ600xxx Memory Card Reader Driver
  • 「不明なデバイス」 アプリケーション - ST Microelectronics Free Fall Sensor Driver
  • 「Broadcom USH」 Dell Data Protection - Dell Data Protection | Access
「PCIシリアルポート」はどのドライバで動くのか、まだわかっていない。

2016年3月13日日曜日

五年前の三月十一日

先日の3月11日で、東日本大震災が起こってから5年が経過した。
今日は5年前に自分が何をしていたか記そうと思う。

5年前、僕はまだ愛媛で暮らす高校1年生だった。
その日もいつも通り高校に来ていた。確か金曜日だったと記憶している。
僕は午後、数学の授業を受けていた。
数学の先生には中学1年生の頃から4年間お世話になっていた。
先生は五十代後半の小柄な人で、病気がちだった。糖尿病、喘息、虫歯など、日本人がよく知っているような病気にはほとんど罹患していた。平熱は38度台で、夏でもセーターを着ていた。先生は「この間同級生の医者のところで『お前、このままじゃ死ぬぞ』と言われたよ」とか、「今度は○○という病気になったのでなかなかしんどい」とか、お得意のブラックジョークでよく僕たちを笑わせた。僕たちも呑気なもので、「もうすぐ亡くなりそう」「病気の百科事典」だとか、先生について好き勝手な噂をしていた。重い病気をいくつも抱えているにもかかわらず楽観的な先生は、多くの生徒から慕われていた。
しかし先生は、それだけの理由で慕われていたのではない。
いつも生徒のことを大切に考えている、菩薩のように優しい人だったのだ。宿題を忘れても「しょうがないなぁ…。テストまでにはきちんと提出するんだよ?」と一言済ませるだけだったし、体罰を下すことは決してなかった(今でこそ体罰が問題視されるようになったが、当時まだ母校では教師による体罰がありふれていた)。同級生や保護者たちは、心苦しい状況をあえて先生だけに打ち明けることが多かった。それだけ先生は信頼されていたのだ。
時折先生は激昂したが、それは僕たち自身が非常識な振る舞いをするときに限られていた。
先生は生徒が社会常識を身に着けるために指導をしていた。
僕たちもその意向がなんとなくわかっていたためか、先生は自然と慕われていた。

その日の数学は、高校1年生最後の授業だった。
あるクラスメイトは翌日から始まる期末試験に備えて授業を脇目にテスト対策をしていたし、別のクラスメイトはたっぷりと残った手つかず宿題を、大急ぎで書き写していた。僕は眠気のために黒板を虚ろな目で見ていた。
先生はいつものように淡々とテキストを進めていたが、授業の終わる十分前になって「実は大事な話があります」と言った。時計は三時ちょっと前を示していたと思う。
「これまで君たちと4年間過ごしてきたけど、来年は担当できなくなってしまった。僕は知っての通り病気がちで、これから大切な受験期を迎える君たちを指導するには体力的に心許ない。そろそろ定年が近いし、6年間面倒を見られるとしたら君たちが最後になるはずだったんだけど、希望が通らなかった」
先生が僕たちの担当から外れてしまうというのは、クラス全体にとって大きなニュースだった。みんな驚いていたし、残念な表情を隠せない様子だった。もちろん「やめないで」と漏らした生徒もいたが、そんな無理が通らないことは誰もが自明に分かっていたと思う。教務が一度決定した方針が生徒の意向で覆るなどあり得ない。
そして先生は続けてこう残した。
「『建設は死闘、崩壊は一瞬』だ。とても残念だけど、来年からも新しい先生のもとで引き続き頑張ってほしい」

先生がいなくなる、それは喪失感を伴うビッグニュースだった。
その報せを聞いた帰り道、僕は「残念だなぁ」と呟きながら畦道で自転車を走らせていた。ペダルを漕ぐ足が自然と力んだ。その頃、日本の東側が大混乱に陥っているとはつゆも知らずに。
自宅に着いて、パソコンのスイッチを付けた。すぐにintelのロゴが現れ、Windowsが立ち上がる。僕はいつものようにGIGAZINEを開いた。
そしてある記事に目が釘付けになった。東北を大地震が襲って、大津波が来たらんとしている。
僕は慌ててテレビをつけ、NHKを確認した。テロップは記事同様の事態を知らせている。こじんまりとした海際の地方都市が映っていた。
一つ変わった点があったとすれば、大きな津波の到来を予告する日本地図が、右下で恐ろしく点滅していたことである。
アナウンサーが尋常ならざる口調で視聴者に避難を要請している。
隣でテレビを見ていた母も、四十何年かの人生のなかで、これは異常事態であると察知したらしい。画面を真剣に見る顔からそれが伺えた。
画面の右側から水が押し寄せ、道路、ガソリンスタンド、建物、その他もろもろを飲み込んだ。
人間は映っていなかったが、おそらく何人かがその瞬間津波に飲まれたのだろう。アナウンサーは何も語らなかった。
数分もしないうちに画面は水面だけを映していた。街は泥水に沈んだのだ。
僕は母と顔を見合わせた。母も今見たものが本当に起こったと信じられなかったようで、表情が驚きに満ちていた。
僕はチャンネルを変えた。別の街が沈んでいた。またチャンネルを変えた。津波が勢いよく田圃をなぞっていた。
夕方になると徐々に詳細が判明した。
死者は千人に上るという。その後も死者数はテレビを見るたびに増えていった。死者数は、まるで、時間依存の単調増加関数のように振る舞った。
「街ごと津波に飲み込まれた」「東京では帰宅困難者が街を彷徨っている」「再び余震が起きた」
そう遠くないところで非日常的、破壊的状況が進行しているというのは、愛媛でニュースを見ている自分たちには理解・想像の及びにくいことだった。

ニュースは惨状を示していたが、ここ愛媛では、普段通りに日常が進んでいた。
パソコンの電源をつけなければ、津波が起きたことすら気付かなかったかもしれない。
僕には、東北に親戚や友達が一人もいない。
おそらく地震に実体を感じにくかったのは、それも理由にあったのだろう。
その一方、先生が発した警句があまりに予言的だったことを僕は空恐ろしく感じていた。「建設は死闘、崩壊は一瞬」──何年もかけて出来上がった街は、たった今、画面の中で消失した。その警句が、俄かに写像を伴って僕の前に迫ってきた。
僕はしばらく「崩壊」を畏怖し、人間の為す所業は自然の前では虚しく、破壊されるべき運命にあると悲観に暮れていたように思われる。
建設の後に待ち構える崩壊、それについて自分なりに何かを考え、結論を演繹し、対峙するには、僕はまだ経験が少なく、幼かった。
東日本大震災に端を発したその悲観論と向き合うのはまた先の話になるのだが、今回の本題とは話がそれるので、今日は敢えて記さない。

その晩、僕は作ったばかりのウェブサイト(MARBLETTE)に、被災者に関心を寄せる旨のコメントをしたのを記憶している。
愛媛にいる高校生の自分に何かできることがあるとすれば、その程度のことしかできないことに不甲斐無さを感じていた。
しかし、無関心であるよりは、なんらかの意を示すことが、被災者に対してとるに適切な態度であると無意識的に気付いていたように思われる。

そのあと僕は翌日のために試験勉強をして、就寝した。
僕は愛媛で日常を過ごし、自分に与えられた課題を為すべきだったからである。
あるいは理由はもっと簡単で、4年間お世話になった先生の出題する最後のテストで失敗し、残念な思いをさせたくなかったからかもしれない。
偶然とはいえ、大震災を予見したような達観的発言をした先生に、当時畏敬の念を覚えていたのは事実である。

僕は5年前、2011年3月11日、そのように過ごしていた。

2016年3月6日日曜日

愛知

今週は帰省を終え、空路で中部国際空港に飛んだ。

僕の所属する学科では、三年生のこの時期に集中講義として工場見学を行う。
その一環で、僕は東海地方の工場(正確には、全国的に展開する企業が東海地方に持つ工場)を何か所か見学した。
化学系の学生が企業に就職した場合どのようなキャリアを歩むのか、化学は工業とどのように結びついているのか等について学習できる良い機会だった。

個人的にプラントの景観は好きなのだが、今回訪問したほとんどの工場で写真撮影が禁止されていたため、あまり写真が残っていないことが口惜しい限りである。

役目を終えたプラント。解体されるのを待つのみである。


2016年2月28日日曜日

愛媛

 昨日は親の軽自動車を運転して田舎に行った。それはいまどき珍しい4速マニュアルトランスミッションの車で、ひどく汚れていた。確かこれは昔祖父の持ち物だったはずだ。物持ちがひどく悪い父は、何度か車を廃車にしたが、この白い軽自動車はもう何年も廃棄することなく乗り回している。バンパーはあちこち凹んでいて、トランクの扉は錆びついている。キーが歪んでいるのか、エンジンは容易にかからない。数回試行してやっと車が振動すると、僕はギアを入れ、やがて国道11号線の流れに車を任せた。助手席の父は何も言わず僕の運転を監督していた。

 20分ほどでT市にある父の実家が見えてくる。あたりは田圃ばかりで、どの田圃にも雑草が茂っていた。川のそばで作業していた祖母は一瞬手の動きを止め、僕と父に向って手をあげて挨拶をすると、再び里芋を掘り起こす作業に戻った。僕はそのまま祖父母宅に車を寄せてエンジンを止めた。そこは駐車の難しいところで、僕は何度かエンストさせた。

 父は勤め人だが、週末に仕事がないときにはよく専業農家である祖父母の家業を手伝う。この日も、父は田起こしをするため実家へ来たのだった。父はまず農業用トラクターにかかっていた布団を払いのけた(祖父母宅のトラクターは何故かいつも布団がかけてある。何のための配慮か、よくわからない)。トラクターはあまり大きいものではない。幅は1.5メートルもないくらいだ。何度かスターターロープを勢いよく引くと、エンジンは轟音を鳴らし始めた。父はおもむろに座席に乗り、「後退」と印された場所にギアを入れた。耕運機は亀のように遅い動きで後ずさりし、やがてすぐ近くの田に侵入して土を掘り起こしはじめた。

 祖母はトラクターのそばで忙しく動き回っている。父に合図しつつ、里芋を掘り起こしている。足元には引き抜かれた人参が4本あった。見栄えの良くない人参だったから、おそらく値はつかないだろう。このような野菜は、よく自分たちの食卓に並ぶ。新鮮だし、味は悪くない。

 耕運機は田の模様を変えていった。雑草は耕運機に土ごと掻き込まれ、砕かれ、吐き出される。車の通った跡には生命力を失った雑草の残骸が積まれていく。父は慣れた手つきでハンドルとギアをさばき、10分ほどで田の全域を掘り起こした。そして再びもとの場所へトラクターを移動させ、エンジンを止めた。3年前に祖父が脳の病気で倒れてから、祖父母の所有するほとんどの田は貸し出されている。今では耕運機を使うほど広くはない耕作範囲だが、老いた祖母には従来の方法で田を処理する体力がない。祖父の損失を補うため、家族で唯一免許を持つ父が休日に家業を手伝っている。

 農作業を終えると、築90年の寂れた家屋に入った。古い家らしく、どこからともなくすきま風がやってきて、体を冷やす。日当たりも良くないから、昼間でも家中は夜のように暗い。父と僕は、かろうじて明るい窓際に腰を下ろした。そのうち祖母が茶を淹れて持ってきた。「東京は寒いかね」と祖母が尋ね、「そうでもない」と僕が答える。何度か問答があったのち、僕は畳に横たわった。祖母はどこかに行ってしまった。床の寒さが身に染みる。目をつぶると眠気が襲ってきて、そのまま眠った。

 目が覚めてから帰り支度し、近くの病院にいる祖父を見舞った。昔は恰幅の良かった祖父も、3年の寝たきり生活ですっかり痩せ細った。それでも体調は安定していて、頬をつつけば「アー」と声を出す。呼吸は確かだ。祖母はシェーバーを取り出して髭を剃りつつ、孫の見舞いを祖父に伝えた。言葉の意味が分かっていないのか、あくびをしたり、「アア」と言ったり、条件反射的反応を見せる。高齢のわりに髪の毛はまだ多く残っていて、額の生え際は僕よりも狭い。隣には祖父よりも若い老人が寝ていて、しきりに手をさすりながら窓の外を見ている。看護師がやってきて、血圧計を巻き付けます、と老人達に喋りかける。若い老人は「ああ」と呟く。祖父は何も答えない。

 祖父は、3年前から同じように、ベッドの上で生きている。まだしばらく終生をそこで過ごすのだろう。僕は祖母に一言告げて、写真を撮った。もう何年も祖父の写真を撮った者はいないはずだ。ネガフィルムを巻いて、僕は祖父をフレームに収めた。最後に祖父を撮ったとき、たしか彼は田圃で休憩をしていて、帽子をかぶっていた。祖父は緩慢な動きをする人だった。祖父は僕に話しかけるわけでもなく、ポーズをとるわけでもなく、ただ実存していた。撮られた後、おもむろに立ち上がって再び大根を抜きはじめていた。

 「じゃ、また来るからな」と祖父に告げて部屋を出た。祖父は何も答えなかった。病院を出て、僕はハンドルを握った。父は助手席に乗っている。祖父はあの部屋で、ベッドに寝ている。軽自動車のエンジンをかけた。車はすぐ動き始めた。僕はギアを1速に入れ、国道11号線に入った。やがて車はT市を抜けた。
祖父
祖父を撮ったネガフィルム 2011年

2016年2月21日日曜日

長野旅行

先週は僕が所属するサークルの合宿で長野を旅行した。

今日は長野の写真を紹介したい。

雪解け水の滴る手水舎 
長野・善光寺の手水舎
午後11時に北陸新幹線で長野に到着した。長野駅に着いたときは吹雪いており、「今日の撮影は厳しいかな…」と諦めてかけていたが、善光寺を訪れるころには天候が回復していた。

 長野だけあって、晴れていてもこの日の最高気温は2℃だった。愛媛出身の僕には応える寒さだ。

 そういえば今年はまだ初詣すらしていなかった。期せずして今年の初詣が善光寺となったわけである。若干出遅れたが、幸先の良い一年となるよう祈って、お参りを済ませた。

 サークルのメンバーと善光寺を見物していた際、興味深い石を見つけた。ロタキサンそろばんのように、輪が何個かつながった1対の棒が、4箇所取り付けられていた。石には『御百度』と書かれてあることから、おそらく御百度参りの回数を記録しておくためのものと結論した。




百度石
善光寺の百度石

 後で調べてみると、これは「百度石」と呼ばれるものらしく、実際に御百度参りのツールとして使われているようだった。輪が10本、棒が2本揃っているから102=100までの数を計算することができる。4組あるから、4人まで同時に御百度参りの回数を計算できる。インターネットで画像検索する限りほとんどの百度石が一人用だから、この百度石は珍しいタイプと考えられる。「牛に引かれて善光寺参り」という諺があるくらい有名で霊験あらたかな寺だから、御百度参りをする人も多いのだろう。










善光寺の境内にいた猫

松本城
松本城
午後は信州名物そばを食べたあと、篠ノ井線で松本まで移動した。依然寒く、雪は断続的に降っていた。
















 夕方、松本城を訪れた。この城は全国で12箇所しか残っていない現存天守閣を持つ城の一つで、国宝に指定されている。城内には市内のコレクターが寄贈した火縄銃も展示されており、見ごたえは十分だった。

 僕は松山出身だから、城を訪れる際どうしても松山城と比較する癖がある。松山城も現存天守閣に分類され、国の重要文化財に指定されている。松山城の天守閣は三階建てで大きいほうではあったが、松本城の5階建てにはスケールで劣る。久しぶりに「松山城よりも重厚感を兼ね備えた城」を見られたと感じた。
来週帰省するから、改めて松山城を見て、比較したい気になった。


奈良井宿街道
奈良井宿
翌朝は中央線で奈良井に移動した。
 奈良井宿は中山道で最も栄えていた宿場町のひとつで、今でも重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)として、当時の街並みが多く保存されている。
 この日は朝食をとっていなかったこともあって、軒先から漂う、この地方名物の五平餅の香ばしい匂いに誘われて、ごまだれで味付けされた五平餅を食べた。コメの粒状感が残っていて、まるでとても柔らかいおにぎりを食べているようだった。串にかぶりつきながら、おいしくいただいた。

凍った手水舎
鎮神社の手水舎
サークルメンバーが「奥に面白い光景がある」というので、鎮神社まで来た。ここは奈良井宿で昔流行した疫病を鎮めるために建てられたとされている。

 手水舎を見てみると、なるほど面白い。長野の厳しい寒さにさらされ、枯葉と柄杓が氷の中に凍っている。このときの気温は氷点下だったから、融ける気配は全くなく、氷を叩いても鈍い音が響くだけだった。

 そののち、南木曽からバスを乗り継いで妻籠宿へ。ここは日本で最初に重伝建に指定された、街並み保存のパイオニアとも言える地だ。いくら歩いても見尽くせないほど、とても大規模な重伝建だった。実際、全国の重伝建面積の約3分の1は妻籠宿が占めている

 妻籠宿を見終わった後は、馬籠宿、中津川を経由して、恵那にてサークルメンバーを見送った。そのまま中央本線で名古屋まで通り抜け、僕の長野旅行は終了した。

 長野にいる間は毎食そばを食べていたような気がする。名古屋に着いてようやくラーメンと串カツを食べながら、「今度は夏に安曇野でそばを食べたいなぁ…」と考えていた。院試が終わったら、自分に慰労の意を込めて、避暑がてら軽井沢に行くのも良いかもしれないね。
妻籠宿
妻籠宿

2016年2月14日日曜日

メモ6

別の大学に所属する友人や地方に住む高校生たちなど、今週は普段疎遠な人々と旧交を温める機会に恵まれた。

僕はほとんど人から食事に誘われることがない(多くの場合自分から食事に誘う)から、そうした人々がわざわざ僕に会いたいと連絡をくれるのは嬉しい限りだ。

2016年2月7日日曜日

東大合格体験記

高校生のフォロワー達から東大受験に関する相談を受けることがある。多くの質問は以下の三つに分類される。

「いったいどのような勉強をしていましたか」
「おすすめの参考書はありますか」
「併願校はどこでしたか」

せっかくだからここで僕の東大受験について記そうと思う。
僕が東大(理科一類)を受験をしたのは3年前のことだから振り返るには少し遅すぎる感もあるけれども、少しでも東大を目指す高校生の皆さんの役に立てば幸いである。



まず僕の受験環境について簡単に説明しておく。

僕は地方の私立中高一貫校に通っていた。毎年20人ほどが東大に合格する高校で、先生たちは成績の良い生徒に東大か国公立医学部を勧めていた。僕も中学3年生の頃から、「東大はどうか」と先生に勧められることがあったが、大学進学で地元を出る決心はつかなかった。

東大受験を決意したのは高校1年の夏、オープンキャンパスで東大を訪れたときだった。
折から先生に勧められていたこともあったし、当時はなんとなく「工学部に行って機械を作りたい」と考えていたので、工学系の研究を世界的にリードしている東大に進めば将来の道が開けそうだ、と判断したのだった。
それならば東工大や京大も選択肢に入ってよさそうだが、僕は敢えて志望を東大一本にした。
理由はあまり大したものではない。本郷キャンパスの雰囲気が気に入ったから、である。

東大に志望を固めたのちも、僕は特別な対策をすることはなかった。
僕の高校は毎年50人近く東大を受験するので、学校のカリキュラムが東大受験に最適化されていた。
普段の授業で東大の過去問を使用したり、放課後には東大受験生向けの補習が開講されたり、地方にしては貴重な環境だったと思う。
駿台全国模試や主要な東大模試は高校が団体申し込みをしてくれたので、早いうちから全国の東大受験生のレベルを知ることができた。
僕が塾通いをせず東大受験を無事合格で終えられたのは、ひとえに母校の制度によるところが大きい。


さて、僕に受験相談をしてくれる高校生たちにとっての問題は、彼らが地方に住んでいて、かつ高校から東大受験に十分な指導を受けられていないことである。
首都圏の名門校を含め、多くの高校は僕の母校ほど進路指導に積極的でないから、駿台や河合塾などの大手予備校がその役割を果たしているのだが、地方にはそのような大手予備校が無かったり、あったとしても実際に東大受験をする仲間が身近に少なく、東大受験に関する情報は不足しがちである。

では実際に僕が東大受験に際し学校から与えられた参考書や自分に課した勉強法を科目別に紹介しようと思う。
僕は理科一類を受験し、合格最低点の+20点ほどで合格した。合格者平均から見るとあまり良い出来ではなかったが、東大合格に最低限必要だった勉強法として参考にしていただきたい。


<英語>
僕が得意な科目だったが、東大の英語に関しては苦戦した。問題量に対して時間が足りなかった。
個人的な感想だが、東大英語はTOEFLやIELTSを意識して作成されているように感じる。つまり、受験者に膨大な量の課題を課して、時間内にどれだけ正確に答えられるかを試しているということだ。他の多くの試験ならば、時間が余るか答案を十分に検討する余裕が得られるが、東大英語について言えばそれはまず期待できない。

そこで必要になるのは「解ける問題を早く、確実に解く能力」である。

例えば自由英作文は得点源にしやすい。訓練をすれば60語程度の作文は難なくできるようになる。自由英作文が苦手なら、まずは課題英作文、与えられた文を齟齬なく日本語から英語に変換する訓練から始めよう。僕が高校生のあいだ、毎日数ページずつ何周か解いた英作文の参考書は『英文標準問題精講』だった。東大受験に必要な英作文能力はおそらくこれ一冊で十分だ。

東大英語には読解力も要される。たとえば、訳すべき文章は難解なものが多いし、並べ替え問題は構文に気付かなくてはいけない。構文を意識した英文解釈力は、一朝一夕では身につかない。読解力に問題をかかえている場合、『英文解釈教室』を解くことをお勧めする。かなり問題数が多く難しい文ばかりだから、一周するには最低でも一か月を要するだろう。しかし本書は、英語を学ぶ人間が一生のうちに知るべき構文が網羅されているといってよい。大学院入試の英語対策にこの本を使う人がいるほどである。

リスニングも大きな配点を占めるので対策は欠かせない。ただ東大リスニングは教材が少ないこともあって、勉強法は限られている。長い英語を聞く体力を身に着けよう。『キムタツの東大英語リスニング』を聴くと良いかもしれない。また、東大模試や過去問のリスニングCDをiPodやウォークマンに取り込み、暇なときに英語のまま理解できるまで聞き続けるという方法もあるだろう。


<数学>
苦手科目だったので、点数を稼ぐことは最初から考えていなかった。
ただ、東大数学とはいえ、教科書に載っているような基本的問題が必ず2問ほど含まれている。
これを解けるだけで40点は確保される。数学に対する理解が高く、他の科目は著しく苦手な受験生は数学でもっと高い点を獲得すべきだが、はっきり言って大問6問中2完(2問完答、の略)すれば致命傷にはならない。

黄チャートでもいいので、基本的な問題を確実に解けるようにしよう。とくに数III範囲で基本的問題が出題されやすい。積分を正確に実行する訓練を続けよう。

大学への数学』は高校で教えられる数学だけでは満足できない人に良いかもしれない。様々なレベルの良問が解ききれないほど多く掲載されていた。僕の周りで数学愛好者と言われる人は必ずこの雑誌を購読していたようだ。僕もたまに読んでいたが、一度ストラップが当たり名前が載ったことがある。高校の数学教師は「大学受験生にはオーバースペックじゃないかね」と言い推奨していなかったので、向き不向きが分かれる問題集(雑誌)と思われる。


<国語>
現代文については、正直何を対策すればよいのかわからない。普段から論理的に思考したり、評論を読んだりする癖をつければ良いのかもしれない。するにしても、疲れないよう、ほどほどに。

古文、漢文にはかならず語彙の意味を問う問題が含まれるので、それぞれ1冊は単語帳/句形集を用意して覚えていこう。先輩から譲ってもらったものでも、学校から配られたものでも、好きに選べばいい。本の名前は忘れたが、僕はくだらない挿絵がいっぱいの単語帳が気に入っていて、受験期によく笑わせてもらった。

東大理系はあまり国語で差がつかないと言われているので、国語に充てる勉強時間は高校から出される宿題や定期試験対策など、必要最低限にとどめてよいと思われる。むしろ他の教科に時間を費やすべきだろう。


<物理>
僕は東大物理ができなかった。物理の先生も諦めていたようである。
東大物理で得点したい人は『難系』あたりを解くと良いのかもしれない。 ちなみに僕は『難系』を持っていたものの全く開くことはなく、合格する頃には埃が積もっていた。
合格後、近所のブックオフで売った。


<化学>
東大化学は東大英語と性質が似ている。
問題数は非常に多く、難解なものもある。時間内にすべての問題を解ききることは難しい。
ここで必要とされるのは「解けそうな問題を見つけて、確実に解く」能力だろう。
逆に、時間をかけても解けない問題は早々に見切りをつける勇気も必要だ。

ところが、東大化学とはいえ、問題の半分は基本的問題である。
ある問題を見たとき即座にその解法を思い出せるようになるには、厳選した問題集を何回も根気よく解いて、全ての問題を正解できるまで続けよう。
僕は『セミナー化学』と『化学の新演習』がその役目を十分に果たしてくれると考える。
ある章を解いて出来なかった問題に印をつけ、テストまでに何周かしてすべての問題ができるようにする。数か月経ったら、もう一度すべて解きなおす。
『セミナー化学』だけであれ、この習慣を高校化学の全範囲について続ければ相当の実力になるはずだ。

もしそれだけで不安に感じるなら、無機など暗記分野についてだけ『化学重要問題集』など他の問題集を解き知識を増やすと良い。

化学の新研究』については大学で専門的に化学を学ぶ人々から賛否両論の声が上がっているが、大学受験の参考書としては名著だろう。
ただ、このレベルの参考書になると高校範囲を逸脱することがある。この本には教科書に書かれていないことばかり記されていて、却って混乱する人もいるだろう。解説が理解できなくても心配する必要はない。
本書は、近くに相談できる化学の先生がいて、前に挙げたような問題集をほぼ済ませた状況で解くのが望ましい。余裕がなければ解かなくてよい。


最後に、併願校について考えておこう。
地方出身者の場合、受験のために東京に行くだけで相当のお金がかかる。
また、併願校受験のためには受験直前期に時間を割かなくてはいけない。東大の二次対策に費したい時間を、行くつもりのない大学のために充てたくはなかった。
そこで僕は私立は1校も受験せず、前期・後期とも東大を志望した。

だが、実際そこまで踏ん切りのつく人ばかりではないだろう。
その場合、滑り止めの大学を2校程度受けるのが現実的だ。
志望校が多すぎれば受験費用、肉体的・精神的疲労はそのぶん大きくなる。
ある学校に落ちてしまったのち、精神的ショックで本来のパフォーマンスを発揮できなくなり、その後も将棋倒しで不合格を連発する人がいる。

「東大二次試験直前に受験したくないが、受験経験がない状態で東大を受けたくない」という人には、防衛医科大学校(防医)の一次試験を受けてみることをおすすめする。
一次試験は11月に各都道府県で行われ、受験料は無料だ。
この試験のレベルは東大理科一類・二類の難易度に近いとされる。
僕の学年についていえば、防医の合格者は全員東大に合格した。防医不合格者は東大にも合格しなかった。バロメーターとしては良い働きをしていた、と思う。
一次試験に合格しても二次試験(埼玉で行われる)の受験は任意であるから、東大受験生にとって不都合はない。



地方の東大受験生にとって一番の問題は、「東大受験について情報が足りない」ということに帰結する。

東京の受験生は家庭にお金さえあれば、鉄緑会やエミールに行って最高の東大対策を受けられる(もちろんそれを消化できるかは別問題だ)。
一方地方にはそのような「東大受験の王道」がないから、東大受験生はとにかく迷走しがちだ。
薦められるがまま参考書を買った結果解けずに終わったり、身の丈に合わない塾に通って時間を使い過ぎ、学校の勉強にすら追い付けなくなったりする。
誰かに相談しようにも、高校の先生や塾のチューターは東大の進路指導に疎く話にならないこともあるだろう。

大事なことは「正しいベクトルで勉強する」ことである。

ベクトルは向きと大きさから構成される。東大に向かうためには、もちろん勉強しなくてはいけない。
しかし、がむしゃらに勉強するだけでは不十分だ。
様々な人が様々な東大合格メソッドを主張するが、その中で自分に合いそうな方向を選択しなくてはいけない。
僕の経験上、多くの人が一致して主張することは真であることが多い。塾の先生、高校の先生、先輩、東大受験について出来る限り意見を集めて比較検討しよう。
そのなかで多くの人が主張する方法というのは、一般に王道と言われるものであり、確実に東大に至る道の一つである。



(↑僕が高校生のとき参考にしていた東大情報本の2015年版。東京大学新聞社が毎年出版している。 普段の東京大学新聞と違って役に立つ情報が多い。

2016年1月31日日曜日

スマホ依存症を治す一つの方法

僕はふだんスマホを使っている。
大学からの事務メールを迅速にチェックしたり、LINEで友人と連絡を取ったりするために、スマホはもはや欠くことができないツールである。

しかしスマホは時間を食いつぶす。
SNSやゲームはちょっとした空き時間の暇つぶしとしてはこの上ないのだが、本当に集中したいときにはかえって煩わしくなることがある。通知を切ればいいのだろうけど、スマホを使うたび通知を切り替えるのは面倒に感じた。また、気軽に使えるものだから、ついついスマホを家族や友人の前でさえ取り出し触ってしまう悪癖がついた。
そして通信料は決して安くない。僕はdocomoを使っているが、毎月3700円の通信料がかかっている。積み重なれば大きな額になる。通信量の7割以上はtwitterが占めている。
大金を払って、生きていくために困らない程度の些末な情報を仕入れている事実に気付いた。

まずtwitterを止めることを考えた。しかし、友人のなかにはtwitterでしか連絡が取れない人も多い。僕個人の勝手な理由でアカウントを消してしまうと不都合かと思って、それは断念した。
スマホそのものをやめてしまうと、大事なメールやLINEを見逃してしまうことがある。ガラケーはネットで通信できるけれども、gmailやLINEとの相性が悪い。無理に使えば通信料がかさむから、あまり良い案とは思えなかった。

そこで、パケホーダイを解約することを思いついた。
僕は普段大学と家以外を行き来しない。家には無線LAN付き光回線があるし、大学にはほぼ全域にWi-Fiが敷かれている。
たまに出かけることもあるが、東京なら多くの場合駅やコンビニからdocomo Wi-Fiにつながる。
つまり、パケット通信ができなくても日常生活にあまり支障がないこと判明した。
この方法なら毎月の携帯電話料金を3000円以上節約できるし、歩きスマホや人と会っているときついスマホを触る悪癖を改善できる。路上にWi-Fiはあまりないし、Wi-Fiのある飲食店は限られている。食事中にスマホを触ることも激減した。

パケホーダイから放たれて1週間ほど経つが、それほど苦労はない。
人と会う約束があるときは万が一のためにパケット通信ができなくても連絡がつく電話番号を教えているし、どこかに行く予定があるときは事前にパソコンで経路や地図を調べて印刷する癖がついた。
通学時など、今までならスマホでSNSをチェックしていた空き時間には、本を読むようになった。
電車から降りたあと駅のWi-Fiで少しだけ通信することがあるが、必要最小限にとどめている。メールやLINEのチェックはそれだけの短時間の通信でも事足りるからだ。

「スマホがないと不便」──そう思い込むことで、スマホに依存したのはあまり得策ではなかったように思う。スマホを語義通りの携帯電話ととらえることで、今までとは別の、有意義な時間の使い方を確立できる可能性が広がっていた。

最近はMVNOやWiMAXなど、スマホの本来の高機能を全く損なわずに安価で高速無線通信を享受する方法も普及しつつある。
しかし、スマホ依存症を改善したいと考えている者にとっては、それは必ずしも根本的な解決にならない。安価でネットにつながるだけ、スマホに対する心理的障壁は低くなる。浮いたお金でまた新たにスマホを契約したり、通信量を増やしたり、かえって依存を深めることもありうるだろう。

いま使っているスマホのパケット通信を解約し、Wi-Fi専用機とする。自宅や勤務先(大学)等に無線環境が備わっていて、通勤・通学時間にスマホで通信できなくても不便に思わない覚悟があるのなら、この方法は金銭的および時間的節約術として有用である。また、2台持ちとは違い新たに端末を契約する必要もないから、すぐ実践できる。Wi-Fiが使えるところであれば、スマホの利便性は以前通り保たれる。
今の大手携帯キャリアは同じスマホを長く使うユーザーほど損をするシステムになっている。ならば、せめてそれへの抵抗として、パケット通信を切ってみたらどうだろう。

パケット通信ができなくても、きっと世界は変わらない。まずは、「どこでもインターネットができなくてはならない」という思い込みを捨てることが有効だ。

2016年1月24日日曜日

傷物語熱血編を見に行った

春休みに入って十日ほど経つが、毎日気儘な生活をしている。
授業はないから朝はいくらでも寝られるし、書くべきレポートは一つもない。
もちろん何も勉強せずに春休みを越せば白痴になること請け合いだから、頭を鈍らせないよう適度に復習をしている。いまは春休み分の定期をとり大学の図書館に通っている。

今日は家と大学を循環する慣例から久しぶりに離れ、池袋まで足を伸ばして先日公開された『傷物語』を見に行った。
僕が初めて「物語シリーズ」を見たのは高2の秋だったが、その頃から「傷物語はまだか」との声をよく耳にしていた覚えがある。上映までずいぶんと待たされ、僕はもう大学4年生間近になってしまった。
今回は傷物語三部作のうち熱血編の上映だったが、最初のつかみは素晴らしくインパクトがありスクリーンから目が離せなかった。
ネタバレになってしまうから詳細を記述することをここでは控えるけれども、普段のアニメに比べ格段にぬるぬると動くキャラクターはもう何年も物語シリーズのアニメを見ている僕にさえ新鮮に感じられた。
劇場版はかかっている予算と手間が格段に多いのだろう。


以下、高校化学に関する所感。
僕が高校生だったころはシクロヘキサンの安定配座について習った覚えがないが、いまの高校生はいす型配座や舟形配座に関して知識を求められるそうである。
僕は小学2年生から高校を終えるまでを「ゆとり教育」で過ごしたという点で、ほぼ完全に「ゆとり世代」として分類できる。
先ほどのシクロヘキサンの例のように、最近大学の講義で習ったことを高校化学の教科書に見つけることを僕はしばしば経験する。
自分が高校生だったころより高いレベルで化学を学んでいる下の世代たちに少々焦りを感じる今日この頃である。

2016年1月17日日曜日

春休みのはじまり

先日試験が終わり、大学三年生の課程を終えた。

この一年は専門の勉強が本格的に忙しくなって、週末は実験レポートの執筆にたっぷり時間を費やしていた印象がある。それでも教養課程に所属していた頃に比べれば内容が奥深く、好奇心をそそられるものばかりであった。試験はどれも易しくなかったけれども、自分が多少なりとも興味を見出している分野におけるプロ、つまり教授方から学問のエッセンスを得られたことにとても満足している。

僕の学科では4月から研究室に配属されるので、それまで3か月は勉強から離れて休むことができる。とはいえ、8月に大学院の入試があることを考えればそう怠けている訳にはいかない。院試で出題される内容をすでに授業で習ったからには、相応の復習が要されるだろう。

幸い一番行きたかった研究室に配属されることになったから、その研究室に出来るだけ長く居られるように(≒院試で追い出されないように…)春休みは復習をしつつ、普段会えない友人たちと親睦を深めたい。

2016年1月10日日曜日

メモ5

テストは半分終わった。
このテストが終わると、次は院試までテストを受けることはない。
今学期までに必修以外の単位を取りきってしまいそうだ。来年は一年中研究室かな.

2016年1月3日日曜日

新年の抱負

2016年最初の投稿は今年の抱負を述べたいと思う。

それは、学業の充実である。
僕の所属している学科では4月から研究室に配属される。2年後期から始まった専門課程がようやく次の段階に移行するわけで、研究生活に新天地としての期待を寄せている一方、自分に研究者としての適性がどれほどあるか不安を感じている。そしてどの研究室で過ごすことが一番自分を利するか、について先月は何十回か考えた。

先日配属を希望している研究室の一つを見学した際、助教授が次のようにおっしゃっていた。
「研究室選びは、確かに将来を決定する。けれども君たち学部生の判断では、本当に自分の才能に合った研究室を選べないだろう。だから私は研究内容よりも、そこにいる人間を重視することをお勧めする。まだ学部生だからそれでいい。教授は普段会わないから、自分と関わりが深くなるであろう助教や大学院生を観察してみることだ。彼らとの相性がよさそうなところを選びなさい」
研究室見学をいくつか経験した(本当に「研究室を見ただけ」ではある)が、僕はこの意見を一番もっともらしいと感じた。研究室は多かれ少なかれ自分の将来を決定するだろうが、それはいま不可知の事柄である。研究生活を何年か経て初めて、自分がした選択に正否を見出すのだろう。「パスカルの賭け」に似たことかもしれない。ある選択肢を正しいと信じ、行動することで何らかの結論を得る。もし自分の判断が誤りだったとしても、行動を経た自分にはその結果以外の有益な産物が少なくとも1つ残る。例えば研究を通して身についた科学的思考法であったり、その領域に関する深い知識であったり。
どの研究室で過ごすにせよ、仕事(学生としての基本的な本分)を忠実に遂行することが最も賢明な手段であると今は考えている。あと一か月以内には研究室が決定するだろうから、その後はしばらく専門科目の復習に時間を充てたい。夏に工学系研究科の院試が控えているためである。
もちろん学業だけの大学生活では味気ないから、長期休暇には少し東京を離れて旅をするつもりでいる。どこに行くかはあまり深く考えていないけれども。

2016年の終わりにこの投稿を読むとき、これから1年自分がとる行動をおおむね肯定できるよう、尽力したい。