昨日愛媛に帰省した。1年ぶりに食べる愛媛みかんに懐かしさを感じた。聞けば近所の農家が栽培したみかんだという。
祖父母の畑で取れたサトイモで作った豚汁、父の育てたトマトでつくったナポリタン、高価なものではないけれども、母のつくる料理は東京のどんな立派なレストランでも食べられない。
田舎には、東京に勝る贅沢がある。
2015年12月27日日曜日
2015年12月20日日曜日
プラド美術館展を見に行った
自宅で使っているノートパソコンのSSDを交換した。最近不良セクタが増えていたし、メインドライブとして使用し続けてもう3年目になる。これを期に256GBのSSDを購入した。僕が自作PC用に初めてSSDを購入したのは2009年5月だが、その頃はたった8GBで10,000円を超えていた覚えがある。同じ額で何十倍も容量のあるSSDが購入できるようになったことを喜ばしく思った。
ついでにWindows 10とOffice 2016 Professional Plusを大学ライセンスで導入した。インターフェースの違いに少々戸惑ったが、以前のソフトウェアより応答が早いので満足している。僕の学部では最新版のOSとOfficeを学生向けに無料で配布している。大学生の場合、自分の学部にそうしたシステムがあるか確認してみればよいと思う。せっかく同じ学費を払っているのだから、大学のサービスは積極的に利用しなくては勿体ない。
先日三菱一号館美術館に行ってきた。いま開催されているのは「プラド美術館展」だが、約100点の作品が展示されている。ルネサンス期、バロック期から19世紀に至るまで、プラド美術館独特のセンスで選ばれた名作を鑑賞できた。
僕は絵画について造詣が深くないので、絵画を見るときは「これを写真技術に活かせないか」と思いながら眺めるようにしている。構図、明るさ、陰翳表現等は満足いく写真を撮影するために必要な技術であるから、それを絵画から学ぼうと考えている。実際、名作の構図は言うまでもなく素晴らしい。ルネサンス期には随所に黄金比を取り入れた画法が発明されたし、印象派で描かれた農婦は画面を大胆に二分割している。
著名な画を見ることは、絵画を描かない者にとっても実用的な意味を持ちそうである。
ついでにWindows 10とOffice 2016 Professional Plusを大学ライセンスで導入した。インターフェースの違いに少々戸惑ったが、以前のソフトウェアより応答が早いので満足している。僕の学部では最新版のOSとOfficeを学生向けに無料で配布している。大学生の場合、自分の学部にそうしたシステムがあるか確認してみればよいと思う。せっかく同じ学費を払っているのだから、大学のサービスは積極的に利用しなくては勿体ない。
先日三菱一号館美術館に行ってきた。いま開催されているのは「プラド美術館展」だが、約100点の作品が展示されている。ルネサンス期、バロック期から19世紀に至るまで、プラド美術館独特のセンスで選ばれた名作を鑑賞できた。
僕は絵画について造詣が深くないので、絵画を見るときは「これを写真技術に活かせないか」と思いながら眺めるようにしている。構図、明るさ、陰翳表現等は満足いく写真を撮影するために必要な技術であるから、それを絵画から学ぼうと考えている。実際、名作の構図は言うまでもなく素晴らしい。ルネサンス期には随所に黄金比を取り入れた画法が発明されたし、印象派で描かれた農婦は画面を大胆に二分割している。
著名な画を見ることは、絵画を描かない者にとっても実用的な意味を持ちそうである。
2015年12月13日日曜日
メモ4
この頃パソコンの調子が悪く、投稿はいつもスマホから簡単に済ませてしまっている。毎週僕のブログを楽しみにしてくださっている方がいると知り、即席の文章を投じ続けていたことに若干の申し訳なさを感じている。
来週までにはパソコンを直すつもりである。先ほど故障したパーツの代用品を注文した。
最近、全ての人間に共通する生きる目的について考えることがある。偉人の考えをいろいろ調べてみたが、最も確からしいものは「よいもの(善)を求めること」だと知った。善は各人で内容が異なる。名誉、財産、愛、真理、幸福等々。
ある人の善の追求は、別の人の行う善の追求と利害が一致しないこともある。その善は別の人の善と全く異なるかもしれないし、あるいは同質かもしれない。ただ、一般に同質の善を持つ人々の対立は最も熾烈を極める。政治的対立や宗教的紛争はこれに当たる。
来週までにはパソコンを直すつもりである。先ほど故障したパーツの代用品を注文した。
最近、全ての人間に共通する生きる目的について考えることがある。偉人の考えをいろいろ調べてみたが、最も確からしいものは「よいもの(善)を求めること」だと知った。善は各人で内容が異なる。名誉、財産、愛、真理、幸福等々。
ある人の善の追求は、別の人の行う善の追求と利害が一致しないこともある。その善は別の人の善と全く異なるかもしれないし、あるいは同質かもしれない。ただ、一般に同質の善を持つ人々の対立は最も熾烈を極める。政治的対立や宗教的紛争はこれに当たる。
2015年12月6日日曜日
メモ3
今日は近所の公園に紅葉を撮影しに行った。思えば一眼レフを提げるのは3ヶ月ぶりである。F3にスペリア400を詰めた。
一眼レフを持つと、視線が獲物を探す目になることを感じる。視界に入るものが特異的か、そうでなければせめてユニークな配置を求めるようになる。同業者(=カメラを持つ人々)を見かけると、彼らの視線の先が気になる。彼らは得てして興味深いものを見つけ、撮影を試みているからだ。
一時間ほど歩くと日が暮れた。公園はライトアップされ、紅葉は霧と青い光に包まれた。「鶯谷のラブホ街じゃないんだから…」と興醒めした。おまけにその青い光が撮影には明るさが足りないから僕は帰路についた。
自然光の紅葉は疑いなく美しい。しかし人造光に翳されると風情がない。せめて電球を使って欲しい。谷崎が『陰翳礼讚』で説いた影へのこだわりを、ふと思い出した。
一眼レフを持つと、視線が獲物を探す目になることを感じる。視界に入るものが特異的か、そうでなければせめてユニークな配置を求めるようになる。同業者(=カメラを持つ人々)を見かけると、彼らの視線の先が気になる。彼らは得てして興味深いものを見つけ、撮影を試みているからだ。
一時間ほど歩くと日が暮れた。公園はライトアップされ、紅葉は霧と青い光に包まれた。「鶯谷のラブホ街じゃないんだから…」と興醒めした。おまけにその青い光が撮影には明るさが足りないから僕は帰路についた。
自然光の紅葉は疑いなく美しい。しかし人造光に翳されると風情がない。せめて電球を使って欲しい。谷崎が『陰翳礼讚』で説いた影へのこだわりを、ふと思い出した。
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