2015年11月8日日曜日

英語至上主義について思うこと

 先日本郷キャンパスを赤門から抜けたところ、記者とカメラマンが近づいてきた。「学生の方ですか」と尋ねられたので、「そうだ」と答え、僕はインタビューを受けることに同意した。記者はまず東大の推薦入試導入について質問し、僕は月並みの意見を述べた。学力が十分でない者でも合格してしまうことが心配であるが、噂によると一般入試以上の能力が求められるそうだから、推薦入学者の学力について確実なことは言えない云々。
 記者によると、推薦入学は日本の優秀な高校生が海外に流出することを防ぐ施策だそうである。東大は世界大学ランキングでさらに順位を落とした。このままでは世界に後れをとるのではないか。あなたはこのことについてどう思うか、と記者は言った。
「大学ランキングは論文の本数・引用数などを数値化したものに過ぎず、必ずしも大学をあらゆる側面で評価したものではありません。もし海外のある大学が東大よりも上位に位置したとしても、受験生にとってその大学が東大よりも好ましいとは言えません。日本で生まれ育ち、日本語で教育を受けることに慣れた私たちにとって、日本語で高等教育を受けられる東大は依然魅力的な大学でしょう。」

 東大に入学して間もない頃、僕は東南アジア出身の留学生S君と知り合いになった。S君の国では十数か国の言語が話される。英語はもちろんのこと、たった一年学んだだけの日本語も彼は堪能であった。僕も英語の練習になるから、好んで彼と話していた。そのS君があるとき、自分の国の教育事情について僕に語ってくれたことがある。
「僕は君たちがうらやましい。僕の母語は××語だけど、僕はこの言語で教育を受けられない。マイナーすぎるから。だから英語を勉強したんだ。国の大学では、もちろん××語は使われていない。でも君たちは日本語で大学教育が受けられる。それってとてもラッキーだよ」
 人間は、ふだん言葉でものを考え、意見を表明し、文章を書く。日本で生まれ育った僕たちは、日本語による思考システムを自然と形成する。日本語は僕たちとは切っても切れない関係にある。先人たちが発明した語彙と思考様式は、僕たちの頭の中に蓄えられている。これは普通のことに思われるが、ときに僕たちを欺く。たとえば「時」という言葉を持ち出したとき、僕たちはなにかを連想する。しかし日本語の「時」では、「時計が表示し、それにしたがって人や社会がうごくもの」と「なにかをするのに良いチャンス(時は満ちた、の「時」)」を区別することができない。もしギリシャ語でいう「クロノス」と「カイロス」について知っている人間なら、その二つをすぐ見分けることができるだろう。僕は外国語を学ぶメリットはここにあると思っている。別の言語とそれが有する概念を学ぶこと、これは普段その言語を使わない人間でも世界をよく見通す道具になる、と。別の思考様式を知ることは、自分の思考様式の欠陥を知り修正する役に立つし、未知の思考に対する防御策であると考える。

 しかし、それが実現されるためには、まず肝心の、自分の思考様式をもっている必要がある。ここでの「思考様式」とは、自分の専門、たとえば政治学を専攻する学生なら政治について、物理を専攻する学生なら物理についての基本的な知識を指していて、人間が持つ善悪の観念とは少し異質なものであることを先に言っておく。僕が思うに、このような専門知識は、母語によって語られるとき、もっとも習得されやすいと考えている。難解なものに接したとき、それを自分の知識として消化・吸収するためにはある程度母語を用いて理解の助けとする。専門知識の理解を英語によって行うことはメリットとデメリット両方ある。メリットとしては、論文はふつう英語で読み書きされるものであるから、学んだ語彙がそのまま論文の理解に利用できることである。デメリットとしては、母語によるほど多くの理解が期待できないことだと僕は考える。これに対して反論は多々あるだろうが、好みの問題である。帰国子女で化学者である宮村一夫先生は、あるとき講義で次のようなことを話されていたことがある。「英語を勉強したとしても、専門知識を持っていなければならない」
 学部生の段階では、専門課程への理解を深めることが望ましいと僕は考えている。修士課程以上になれば、論文執筆や国際学会に英語は必要になるだろうが、それはそのとき訓練すればよい話である。僕の専攻分野は、さいわい日本でも盛んだし、日本語による参考書が充実している。その状況下においてあえて英語によって勉強するというのは、日本語による思考様式を得た学生にとってあまり効率の良い方法と思えない。だから僕は、つづけて記者にこうコメントした。
「しかし、受験生にとって東大が最善の選択肢とは限りません。もしその受験生が明確にやりたい目標をもっている、すなわち、○○大学の何某先生のもとで、このような研究をしたい、そのような受験生は東大ではなく、その大学を目指すべきです。ですが、そのように具体的な目標のない生徒にとって、東大は良い選択肢です。僕たちの慣れている、日本語による高等教育が充実していて、なにより頭の回転が早い同期達から、学業の面でも、精神の面でも、多くの刺激を受けられます。そのなかで自分のやりたいことを模索していくのも、悪くない学生生活です。」
 記者には「東大って天才ばかりいるものと思っていましたが、意外と普通の人が多いのですね」とコメントされた。

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