2015年11月1日日曜日

桜蔭礼讃

 なぜあなたはそんなに桜蔭が好きなのですか」と人からよく質問される。そのたびに僕はたまたま思いついた返事をする。もちろんそれぞれの返事に嘘はないのだが、僕は方々で異なる理由を挙げて桜蔭を褒めている。いい加減確とした答えを用意すべき時期だと考え、今週は桜蔭を崇拝するに至った経緯を記すことにする。
 初めて桜蔭という名を知ったのは、小学五年生の頃だったように思う。僕は地方都市の中学受験塾に入って県内の中高一貫校を目指す決心を固めた。それまで塾に通わず小学校だけでのらりくらりと勉強していたためか、テストの答案は毎月惨憺たる点数を呈していた。
 中学入試ではすべての者が同じ教科で受験する。また、多くの中学校は受験生に対し国語・算数・理科・社会の四科目を要求する。僕はそれなりに勉強しなくてはいけなかった。中学受験塾では小学校高学年になると、実際の入試問題を用いて演習をするようになる。テキストには灘、開成、麻布、桜蔭のような難関校による問題が採録されていた。難関校の問題はもちろん難しい。ゆとり教育に甘んじていた小学生だったので、そもそも問題文を理解できないことさえあった。それに対して悔しがるわけでもなく、僕は「へえ~僕には解けないや。こんな問題が解ける子がいるのか!すごいなあ!」と感心するに過ぎなかった。志望校を突破するためにそこまで高等なテクニックは要求されなかったし、そのころの僕には向上心が希薄だったのである。
 なかでも桜蔭の国語は難解であることで有名だった。塾に入ってしばらく経ち、まず国語の成績が上がった。返ってきた成績表を見ると、僕の国語の偏差値はまずまず高く、あと一歩で全国の難関校を狙える水準に達していた(もちろん国語だけ、という但し書きが入るのだが)。そこで僕は得意になり、女子校で最も難しいと言われる桜蔭中の国語を解いてみようと思ったのである。が、まったく歯が立たなかった。問題文を理解できないのはもちろんのこと、それについて何百字も記述するなどできない相談だった。桜蔭受験生はこれに答える覚悟を有していることに、僕は恐怖を覚えた。恐怖はときに対象への尊敬から起こることを思えば、僕が桜蔭生を特別視しはじめたことは想像に難くないだろう。
 いま思えば、桜蔭中の国語を解くにはある程度の精神成熟が必要だったのだと感じる。数年前の入試問題には哲学者の中島義道氏の文章が出題されている。僕が氏の文章を初めて読んだのはごく最近だが、彼の文章にはひねりが多い。小学生には難解どころか、まったく意味を持たない文章に見えるだろう。たとえば彼が随所で説くニヒリズムを理解できる小学生がいたとしたら、きっと彼は多感な幼少期を過ごしてきたか、教養のある保護者のもとで哲学的に育てられたに違いない。おそらく僕が桜蔭中の国語を理解するには、まだ多くの人生経験が必要だったのだろう。小学校で深い考えもなく毎日遊んでいただけの小学生に、難関校の記述問題は解ける代物ではなかった。
  しかし、難解なテキストを自分なりに理解し、思うところを自由に記述できる能力を、桜蔭中はたった十二歳の少女たちに欲しているのである。もちろんすべての合格者がその能力を達成するわけではないだろうが、部分的にはそれを発揮できるようになっているのだ。小学校六年生の二月までに少女たちが未熟ながら築き上げた人生観・情報発信力を、あえて試験問題として問う桜蔭中には賞賛を送りたい。試験会場でその能力を断片的にでも示せた女の子たちは、同年代と比べ精神的にきわめて発達したクラスメイト達と中高六年間という多感な時期に交感しあうことで、さらに研鑽されるのである。僕は東大に入学したのち何名かの桜蔭卒業生と知り合う機会を得たが、彼女たちは概して同年齢とは思えないほど成熟した精神を有していた。(もちろんこれは桜蔭に限った話ではない。他の難関校卒業生にもみられるが、ただ桜蔭生に顕著だったということである)
 桜蔭に合格できなかった人びとが人間的に劣るとは全く思っていないし、むしろ受験の失敗によって克己心をはぐくむきっかけを得るなら、それはそれで成長にとっては望ましいことだ。しかしながら精神的に成熟した同年齢の集団で暮らすことは、少年少女の感受性に大きく影響を与えるものだと僕は思っている。東大に入学したのちすぐに、僕は難関校の人たちが母校で豊かな文化を営んでいた事実を目の当たりにした。僕の高校では到底流行らなかったような、高度な教養の認められる位置が難関校の「休み時間」には存在したのだと知った。僕はそのような類まれな環境に対し、「うらやましい」と感情を抱いた。
 「桜蔭は素晴らしい」──こう僕が発するとき、そこには自分が築けなかった(むしろ、築かなかったというべきか)高度な文化を目指していくべきだった中高六年間への後悔があるのかもしれない。僕にとって「桜蔭」とは恵まれた六年間への憧憬を意味する記号のような言葉なのだと思われる。つまりいま僕が「桜蔭は素晴らしい」と謳っていくこととは、彼ら・彼女たちが母校で培った文化に自分から迫っていく(追体験し、自分のものとして消化していく)ことの意思表示でもある。
 過去を嘆くことはためにならない。だから自分にはその過去が必要であったと肯定し、改めて「桜蔭は善い、目指していけ」と謳い高みへ前進していくこと、これが僕の桜蔭を称賛する理由である。

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